「だろ」など書き言葉や独白体で用いる言葉

「独白体」という言葉は文学史からパクって来た用語で、言語学としてこういう用語があるわけではない。
しかし、生の日本語の言い回しを理解する上で、モノローグの特徴を知ることはとっても重要な事だと私は考えている。

「文語」と「書き言葉」は同じ意味で使っても良いらしいが、一般的に「文語体」とは明治憲法みたいな古い日本語の事を指すらしい。
しかし21世紀の言語状況を見る限り、命令形や「〜だろう。」といった言葉遣いを文語体と称して然るべきでは…とも考えている所。

日本語には話し言葉と書き言葉がある

「日本語には女性語と男性語があるから注意しなくては」と性別の切り分けに躍起になる人達の思惑はいったい何なのだろうか。
日本語を世界一難しい言語に仕立て上げようという政治的イデオロギー(国粋主義?)に陶酔しているのか、あるいは一種のナルシズムに陥っているのかもしれない。
そんな ideologist 達をよそに、実際の庶民は「性別」ではなく「場面」によって口調を切り替えている。
そこを正しく理解し直さないと「なんか言葉遣いが気に入らないなあ」と思われる事になる。

そもそも女言葉・男言葉なんていうのは著作表現上のステレオタイプなので、覚えて真似る必要性も無く、ウチとしてはそこは100%切り捨てている。
Emotionalな言葉とDrynessな言葉のどっちを好むかも全員違うし、目指すべき人物像も人それぞれ違うから、女性的な男性的な言葉遣いを求めようなんていうのは初めから nonsence だ。
よその言語でも Entity を指し示す部分には性別の情報が入ってくるが、発言内容だとか思想・信条が性別によって二分されるはずが無いのでね。
性別によって好みが分かれる部分は有ったにしても、それを文法上のルールと履き違えてしまっている人が結構いる気がする。
ジェンダー問題とも絡むことは絡むけど、それ以前に実態に則していないのが大問題で、創作物ですら必ずしも言葉の性差は大きくないのに、異常なまでに偏った教え方はどうにかしたいと思う。
たとえば英語の授業で「I'd love to は女言葉だから男性は気をつけて」とか教える必要があるか?そもそも社会的なジェンダーだという話なら、逆にそういう事を授業で話すのはまずくないか?ということだな。

いずれにしろ日本語会話では、何をおいても「場面による使い分け」「話し言葉」「書き言葉」こそが重要。
ウチのサイトの説明はだいたい外国語の教科書をパクってる所が多いので、日本語の特殊性・独自性ってヤツをあんまり味わえない仕組みになっている。
その結果、民族主義的な面白みも薄まるだろうけど、そこから離れないと語学の本当の面白さも味わえないと思っている。

書き言葉は至って教科書どおりだ

口語と文語の特徴をしっかりつかむことが、ネイティブ感覚に近づく基本である。

書き言葉の例

特に「〜だろう。」と「〜のだ。」で締める文章は、書き言葉としての性格がけっこう強い。
また、終助詞の「よ」「ね」などは話し相手への呼びかけに使う言葉なので、目の前の人に語りかけてるわけでもない文章では使わない。

文語でも口語でもない疑問文?

男言葉の先入観を取り除いてキチンと調べてみたら、なんと、現代語にはこのようなとんでもない特徴があることが判明した。
純粋な書き言葉でもないし、そうかと言って、今風な対話表現でもないので、分類の難しい文体だ。
利用実態を考慮して、本サイトでは仮に「独白体」と呼ぶことにしているが……ほんと、みんなも真面目に研究してほしいと思う、ここんところを。

独白体の例

新聞記事で人の発言を引用する時も、これぐらいの文体がちょうどいい。
(疑問詞を含む場合は付けない…って所がすごくアジア的な特徴なんだよね)

口語体はだいたいこんな感じ

口語体の例

タメグチの疑問文で「〜か?」「〜だ?」を使うことは(ツッコミや自問自答などを除いて)実際の対話文では避けられがちである。

「でしょ」に関する補足

具体的な事柄を相手に確認する表現は 〜よね。 / 〜でしょ。 / 〜じゃん。 の3つがある。
ここで、現代語では「〜でしょ。」が話し言葉で「〜だろ。」が書き言葉というように、使う場面が互いに異なっている。
本来「だである体」と「ですます体」はどちらかに統一するのが望ましく、混ぜるのは美しくない。
……はずなのだが、友達どうしのくだけた会話であるにも関わらず「でしょ?でしょ?」を連発しているのが実際の所だ。

ただし、タメグチで「〜でしょ。」となる現象が現れるのは、文末の場合および疑問詞を含まない場合に限られている。
後に助詞がつながる場合は単純に、丁寧語では「でしょうね」「でしょうけど」パンマルでは「だろうね」「だろうけど」となる。
疑問詞を含む場合は「〜かな」で代用する。
性別に関係なくこうなってるので、男性諸君もいちおう気をつけておいてください。
対話で積極的に「〜だろ。」を使っても、何のメリットも無いので^^;

独白体を使う場合

タメグチにもいくらかのお作法というものがあり、マナーである以上は男衆にも覚えてもらう必要がある。
普段のおしゃべりの中で「書き言葉」的な話し方をすると、偉そうに聞こえたり「罵倒語」として働いてしまう事もあるので、気をつける必要がある。
書き言葉というのは、いわば、ポライトネスの要素を全く含まない無味乾燥な文体だからね。
それでも、書き言葉は「日本語の文法の基本設計」として重要な役割を持っている。
汚い言葉だという教え方をすると本質的な理解から遠のいてしまうので、それはやめておこう。
もしも書き言葉が失われたら、話し言葉も文法的な拠り所を失って、「こういう語尾を使う人は幼稚だ、下品だ」などと議論が迷走した挙句に空中分解してしまうんじゃないだろうか?

間接話法

引用文を間接話法としてしゃべる場合は文語の形にするが、これは文法上の決まり事にすぎないので、そういう物だと思ってほしい。
もちろん直接話法の形でしゃべる方法もあり、その場合は話し言葉と同じになる。

間接話法の例

直接話法の例

間接話法は純粋な書き言葉の形になる。
一方、ここから下の用法では「独白体」の形になるので、そこも注意ね。

ツッコミ用法

たとえば笑い話の中での「ツッコミ」としてなら次のような言い方をしても全然かまわない。
基本的に教科書もHiNativeの連中も「女は冗談を言わない生き物」という前提で考えているっぽいね。
だから「男言葉」という説明になってしまうわけだが、そんなことは有り得ないので、賢い生徒なら先生のウソに気付いてね(苦笑)。

会話文でのツッコミの例

掛け声用法

掛け声をかける場合は文語の形をとることがけっこう多く、こういうのは罵り言葉ではない。

掛け声の例

独り言用法

逆に、人とおしゃべりする時ではなく独り言の場合であれば「〜か?」とか「〜だろ?」とかもよく使われる。
第33課で男尊女卑のパンデミックを起こした問題作『みんなの日本語』のせいでスッカリ汚名を着せられた「命令形」「禁止形」……それも、掛け声や独り言ではけっこうよく出てくるよ。

独り言の例

話し言葉というのは、そのものズバリ、他人とおしゃべりするために特化した文体なので、話し相手がいない時に使ってしまうと、なんだか幽霊に話し掛けているみたいでちょっとおかしい。
そう考えれば、独り言で書き言葉の文体に戻ってしまうのは決して不思議な事ではないよなぁ…と。

自問自答として

人とおしゃべりをしている時でも、自問自答に近いような発言では次のような言い方になるのも普通だ。

自問自答の例


まあ、どれでも好きでいいだろ

ルールという程でもないので、独り言だからといって必ずしも上記のとおりになるわけではない。
周りに誰もいないけど「もし誰かいたら聞いてくれ〜」と思うことはあるだろうし、自分自身を話し相手と見立てている心理状態の時なんかは次のように口語的な言い方にもなる。

独り言文例(その2)

ただ、独り言でこんな言葉遣いになるとしたら、よほど感情的になっている時であろう。
終助詞については「よ」「ね」が主に対話文で用いる物であるのに対して「わ」「な」が主に独白で用いられるという関係にある。

語学のススメ

こちらのページではチベット語にはウチとソト(自分に関係あるかないか、主観と客観)の使い分けがあるのだと論じている。
日本語にもそういう特徴がある気がしている。こういう捉え方を導入するのも有りと言えば有りだな…と。
「触るな」「触らないで」「おいしいんだ」「おいしいの」「来たな」「来たね」…男性と女性の違いだとほざいてる連中がいるが、そうじゃなくて本当はソトとウチの違いであるはず。
…だけど「独言体」「会話体」というふうに分けちゃった方が現実的なので、本ページではそうさせてもらった。

なんにせよ「独自の理論に陥ったり、おかしな説明をしていないだろうか」と不安になったら、いろいろな外国語と比較してみると良いのだ。
お互いに似た特徴を持った言語が見つかれば、それが信頼性の向上につながる。
日本語を含めたどんな言語にも通じる「言語学上の常識」という物があって、教材を作るにあたっては、なるべくその範囲に収まっている事が望ましい。

韓国語研究においては「上称」「中称」「等称」「下称」「略待上称」「半言」など、話し相手との関係によって細かく文体を分けている。
特に韓国語の学習コンテンツでは「基本的に男女差はない」という前提があるので、そのおかげで細かいニュアンスの違いまでしっかり説明してくれる人に恵まれている。
日本語についても本来は性別云々ではなく、こういった分類をしっかりおこなうべきである。
このページで言う独白体は、まあだいたい等称と下称を足して2で割ったぐらいだろうか。

もうひとつ、東京外国語大学Webサイトのモンゴル語も超おすすめコンテンツだ。
文法用語の解説にまで話が及んでいるから説明が長くて大変だが、読み進めていくと日本語との共通点の多さに気づく。
それゆえに、日本語を教える時にもそのまんま流用できる説明文がけっこう多い。
ちなみに途中に出てくる「男性語」「女性語」は(なんでこういう名称になったのか分からないが)単に母音を2つのグループに分けているだけの概念であり、話し手の性別の事ではない。

日本語教育はだいじょうぶなのか?

この辺りは社会言語学でいうところの「ポライトネス」の話で、別に日本独自のマナーってわけでもない。
相手に直接向けるとキツく聞こえる言葉というのは、もちろん使わない方が良い。
その際、「なので女性はあまり使いません」など「男性なら自由に使ってよい」とも受け取れるような発言は絶対にしない事が大切だ。
これは教育者としての最低限のモラルだから「日本語には女言葉が…」なんて言い訳は通用しない。

HiNativeという語学交流サイトで思った事を 俗語 のページにも載せるけど、言葉が汚いかどうかを論じる前に、歴史を知ってほしいと思う。
「でしょ」に対する「だろ」、「ごはん」に対する「めし」……。
近代までは日常語だった物がだんだんとold-fashionedになり、それに伴って会話で使われる場面もmonologueやjokingへと移っていく。
「〜だろ。」とか「めし」を男性の乱暴な言葉みたいに教えてる人も見かけたが、その理屈だと「どうしたんだろ…」というママのつぶやきや「ジブリめし」に憧れる女子に対して説明がつかなくなるよね。
それどころか、このページ 役割語の不思議な世界 の最後に書いてあるように、我々日本人が母語の本当の姿を見失ってしまうおそれすら有る。
概して、古語・方言・書き言葉などを「男性語」呼ばわりする傾向が目立つけれども、教育コンテンツを謳っている以上 こういうこと をされると非常に困る。
特に書き言葉や文語体は日本語能力の基礎となる部分だから、それを「女は使うな」と禁じることは即ち「女に学問は不要」と言っているのと等しく、教育者として恥だと思わなければいけない。

サザエさんの昔の漫画を読みあさると、巷に言う男言葉・女言葉と一致しない部分がちらりほらりと見受けられて、これは改めて読み返す価値がありそうだね(笑)


全ての言葉を男女別にしたがる人……ふだんはあんまりいなくても、テーマを「日本語」にした途端に増えるんだよ。
言葉の性差を広げたところで、実生活で何か嬉しい事があるかと言ったら、無いと思うけどね。
せいぜい、言いたい事を素直に言えない世の中になるだけだよ。

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