格助詞などの使い分け方
せっかくこんなサイトを作ったので、ついでに格助詞とかそういう物の使い分けも取り上げてみようと思う。
語尾表現とは違って幸いにも役割語に汚染されていない部分なので、批判的な記事を書かなくて済む……ここは平和だ。
助詞はだいたい省略できる
日本語の正式な文章では、格助詞などを省略せずまじめに付けていく。
しかし普段の会話では、次の4つに限っては曖昧にならない程度でガンガン省略できたりする。
- 主語(主格)を表す格助詞「が」
- 話題を表す副助詞「は」
- 直接目的語(対格)を表す格助詞「を」
- 間接目的語(与格)を表す格助詞「に」(移動を表す場合のみ省略可能)
たとえば次のようになる。
今日 うち 弟とケーキ作る約束 あるから ゲーセン 行かない。
もしも助詞をしっかり付けるなら次のようになる。
今日 うちは 弟とケーキを作る約束が あるから ゲーセンに 行かない。
どこまで省略可能とするか、どのような語順が望ましいかは話し手の裁量による。
あんまりルールを見出してもしょうがないので、相手に意味が通じやすいかどうかを考えればいい。
どこまで省略可能かな?
- この手紙 ポスト 入れて。
- 「この手紙をポストに入れて」の省略。
常識的に混乱しなければ、まあだいたい省略できる
- 先生 学校 来た。
- おやつ 犬に あげる。
- 「を」は省略可能だが、移動を表す場合以外の「に」は省略できない。
- 油に 水を 入れると 危ない。
- 何を何に入れるのかハッキリさせたい場合は省略しない。
中でも特に省略されやすいのは形容詞述語文。
「これおいしい」「あの先生怖い」「部屋の中あったかい」など、日常会話においては助詞をつけないのがデフォルトだと言える。
複雑な格変化で恐れられているあのロシア語も、時として「え、ただテキトーに単語並べただけ?」みたいな恐ろしくシンプルな構文になることがある。
ロシア語も日本語も語順は比較的フリーなので、名詞や副詞を転がすだけで文章を作れちゃうことも少なくない。
まあ自由とは言っても、重要度・時系列・相互連関はちゃんと考えて並べてほしいものだが。
ロシア語の語順が比較的自由なのは「格変化」があるからだと言われるが、「格変化」らしき物の見当たらないスペイン語が自由奔放な語順なのには驚いた。
日本語の格助詞もオマケに過ぎないって事かねぇ。
格助詞などの使い分け方
ウチのサイトではこうやって説明するけど、他の所ではどう説明しているかなあと見比べて遊んでみるのも良いかもね。
露骨なジェンダーバイアスをぶっ放すヤツもさすがにいないし、ここは実に平和なセクションだ。
格助詞「を」の使い方
フィーリングに任せず文法規則で考えれば何も難しくない。
英文法のSVOで言う所のOであり、基本的には動詞にしか使えないということだ。
「を」の使える物、使えない物
- 本を 読む。
- 猫を さわる。 猫に さわる。
- これはどっちでも良いが、どこへ向かって手を伸ばすか方向を示すという発想だと格助詞「に」が使われる。
- 空が 青い。
- 部屋を 涼しくする。
- この文には「する」という動詞がある。何を○○するかという目的語を示す。
- 部屋が 涼しくなる。
- こっちは「なる」という動詞が付いているが、何が○○になるかという主語を示す。
「を」の使えない動詞
目的語を添える時に必ず「に」という格助詞を使い「を」という格助詞を使わない動詞がある。
とある外国語の文法用語を借りて言うならば「動詞の格支配」ってヤツだ。
間接目的語を使う動詞
- ヒヨコが ニワトリに なる。
- 日本語的発想では、何から何へ変わるのか矢印で結んで表す。
- 車に 乗る。 新聞に 載る。
- 日本語的発想では、車の内側へと移動し、新聞紙の上へと移動する。
- これを あの人に 手伝ってほしい。
- 「してほしい」「もらう」などは受け身形の構文に準じる。
所有格と同格について
格助詞「の」は、普通は【所有格】や【限定用法】としての解釈が優先される。
他にも【同格】としての使い方があり、単純に文章だけを見ると曖昧さが生じているようにも見える。
ただし現実的には文脈や状況から明らかに判断できるので、実際の会話で混乱が生じる事はないはず。
格助詞「の」の例
- こちらが 私の夫 です。
- 残業の人は 事前に 申し出てください。
- 限定用法。たとえば「残業をする人」など具体的にどのような「人」を指し示したいのかを表す用法。
- 所有者を示すだけの助詞じゃないよ、ということ
- 怒りん坊の先生!
- 同格。本質的には限定用法と変わらない表現。
- 文脈上、あるひとりの先生に限定されているので、単にその先生に肩書きを与えているだけ。
- こちらが 私の町のフクヤマ です。
- 1つ目の「の」は所有格だけど、2つ目の「の」は同格。町を指差しながら発言しているので、「私の町」以外の何かの名前だという解釈はありえない。
- だたしフクヤマという名前の人物を指し示しながらの場合は、所有格(限定用法)としての解釈も可能。「私の町に住んでいるフクヤマ」
- 小さい電池が ほしい。 長持ちする電池が いい。
- ちなみに、名詞ではなく動詞や形容詞で限定する場合は「の」を使わない。
文脈判断を要する事は自然言語の大原則のひとつなので、2通りの解釈があるからといって難しがらないでくださいね。
「の」と「な」の違い
「の」は格助詞だけど、「な」は格助詞ではない(助詞ですらない)。
「な」は助動詞「だ」の連体形であり、文法的に全く別物だという事に気をつけよう。
(あと、これは名詞を修飾する時だけの話ね。形容詞や動詞を修飾する時はそもそも何も挟まないので。)
「な」の例
- 今日は 最低な一日 だった。
- 今日は 最高の一日 だった。
- 形容詞的に用いる習慣が薄いからなのか、この場合は助詞「の」を用いて修飾するのが通例。
- 「最高な…」と表現する人も、いなくはないらしい。
- まあ、怒りん坊な先生 だからね。
- どちらかというと、性質を述べる場合は「〜な」の方が普通。改めて肩書きを読み上げるような場面以外では「〜の」でつなぐ事は少ない。
この2つの使い分けは習慣的な物ではあるが、だいたい、単に性質を述べる場合は「〜な」を用いて、限定する場合は「〜の」を用いる傾向がある。
一般的には「名詞+だ」のことを「形容動詞」「ナ形容詞」などと言うけど、ウチとしては「意味上は形容詞的だけど、あくまでも名詞述語文である」という扱いにさせていただいている。その方が構文解析しやすいから。
2つの格助詞「が」と「の」
ひとかたまりの名詞句の中では、格助詞「が」を「の」に置き換えることができる。
文例
- イノシシが掘った穴が見つかった。
- イノシシの掘った穴が見つかった。
意味はどちらも全く同じで、文章構造をわかりやすくするための物にすぎない。
「イノシシの掘った穴」というように「の」で接続すれば、どこからどこまでの範囲が主語なのか(あるいは目的語なのか)区切りを判断しやすくなる。
格助詞「が」と「を」の入れ替わり
本来は目的語だから「〜を」という助詞を使うべきであるが、目的の物に焦点を当てるために「〜が」という助詞が使われる場合もある。
こういう事が起きるのは、「何々を何々してある」というような「他動詞 + 状態動詞」がほとんど。
例
- 本を 読んである。
- 例えば、私が本を読んでその内容を覚えた、みたいな意味。
- 本が 読んである。
- 例えば、誰かによって本が読まれた形跡がある、みたいな意味。
- 窓を 開けてある。
- 例えば、私が窓を開けて、そのままの状態、みたいな意味。
- 窓が 開けてある。
- 例えば、誰かによって窓が開けられている状態だ、みたいな意味。
- 窓が 開いている。
- これは自動詞。窓がそうなってる事を言ってるだけで、窓を開けた人については問題にしていない。
ここで「〜が」を使った場合、対象物に焦点を当てる以外にも「会話に登場していない誰だか知らない人によって…」というニュアンスも感じさせる。
個人的にヒンディー語などの「能格」が頭をよぎってしまう文章だ。
主語イコール目的語にならないパターン
何の前提もなく「私は猫だ。」と発言すれば、基本的には「私イコール猫」として解釈される。
しかし会話の流れによっては必ずしもそうならず「私の目的は猫」という意味になる事も多い。
うなぎ文(人魚構文)
- 「飴と チョコ、 どっち 欲しい?」
「パパは 飴を もらおうかな。」
「じゃあ 私は チョコだ。」- 本来の述語を補うと「じゃあ私はチョコをもらうんだ」
- 「犬、猫、鶏の 世話係を ひとりずつ〜!」
「ぼく、うちでも 犬 飼ってるけど。」
「よし、琴音くんが 犬だ。」- 本来の述語を補うと「よし、琴音くんが犬を世話するんだ」
この会話文例では「お菓子をもらう」「動物を世話する」という作業内容すなわち述語は説明済みであり、誰が何を担当するか決める段階に入っている。
したがって本当に述語というべき部分は、冗長性を避けるために省略されている。
このような文体は、各自の役割分担を決めたり、物と物とを結びつけるような場面でよく起こる。
「人魚構文」というのは言語学者の角田太作による独自の用語で、ネーミングは面白いんだけど、単なる「主題マーカー」にすぎない気もするけどね…
「好き」を使った表現
日本語の愛情表現では「私の好きな物」というラベルの貼られた対象物を主語として掲げる。
愛される側を目的語にしないのはなんだか風変わりかもしれないが、この程度の事は「語学あるある」だ。
文例
- この色が 好きです。
- 「好き」は動詞ではないので格助詞「を」は使えない。「この色」を無生物主語に立てる。
- 彼を 好きな 理由。
- …といいつつ、このように格助詞「を」の使われた文章もリアルに存在する。
- 先程の人魚構文と同じ理屈で考えてみようか。例えば「彼を好きだと言うような理由」みたいに動詞が隠れているんだと考えれば文法上の根拠を示す事ができるかもしれない。
- 私が 彼を 好きな 理由。
- こうなってしまうと、主語と目的語を明らかにするため格助詞「を」が外せなくなるよね。これは「好く」の連用形だ…とか言い張ることもできるのかな?
- あもりちゃんが 好きな物を 買った。
- 「あもりちゃんが好む物」か、それとも「あもりちゃんが買った」か?
- あもりちゃんの 好きな物を 買った。
- 「が」を「の」に置き換えた。こうすれば明らかに「あもりちゃんが好む物」という意味になる。
- 好きな物を あもりちゃんが 買った。
- 語順を入れ替えた。「あもりちゃんが買った」という意味になる。
他の言語での好き嫌い表現
- スペイン語の授業では「好き」を意味する動詞ひとつのために、ひとつのレッスンを費やす。スペイン語の動詞 "gustar" は主体と客体がひっくり返って「彼が私に対してフェロモンを放っている」みたいな構文になる。他にも再帰代名詞を用いた表現で、「私が忘れ物をした」のではなく「物が勝手に私を忘れた」みたいな言い回しが度々現れる。
- 能格とは、簡単に言ってしまうと、誰によって物事を引き起こされるかを示す物である。ヒンディー語では能格や与格を用いた表現が少なくないので、人間(動作主)があんまり主語(主格)になりにくい傾向がある。したがって日本語の「私には、これが、快適だ。」みたいな構文がヒンディー語にも非常に多く現れる事になる。
- タガログ語は強調したい物を主語にするため、人間が主語になるという固定観念を完全に捨てる必要がある。タガログ語の好き嫌い表現では、あえて日本語で再現するなら「私のマンゴーの好み!!」みたいな構文を作る。この場合、主語がどれであるかはあまり明確にはならない。
このように、できるだけ色々な言語にふれあっておけば「日本語ってなんでこんなに変なんだろう」みたいな劣等感から解放されるはずだ。
異なる品詞に分類された「は」と「が」
副助詞の「は」の基本的な意味は「これについて言うならば」である。
主題を先に挙げる構文はわりとアジア言語の中で見かけやすく、例えば「ホットケーキは食べ飽きた」を中国語で「鬆餅我吃腻了」と言ったりする。
次のように、本来なら「が」「に」「を」といった格助詞を使うべき所を、「は」に付け替えることができる。
副助詞「は」の使い方
- 「これが 3番で、えーと、これは?」
「これは 5番!」
- 「今日は 学校に 行かないの?」
「うん、学校には 行かないけど、 塾は 行く。」
- 「朝ごはん 食べてる時間 なさそう?」
「うん、でも パンは 食べる。」
「が」「の」「に」「を」みたいな助詞は「格助詞」に分類されているが、これらはドイツ語やロシア語の文法に出て来るあの「格」と同じ働きをする。
すごく簡単に言ってしまえば、どの単語が主語でどの単語が目的語か示すのが「格」である。
つまり日本語で主語を示す助詞と言ったら、あくまでも「が」であるという事だ。
一方「は」という助詞は格助詞の仲間から外され、「係助詞」とか「副助詞」の中に分類されている。
(係助詞はどちらかと言うと古語文法のヤツだから、そこに分類していいのかなという迷いはある。
副助詞というのは、まあ「その他いろいろな助詞」みたいなもんだね…)
あたかも「は」を使って主語を示しているように見える事も多い。
主語に注意を向ける必要がない場合、「は」で代用する事が多いのも事実。
しかし先程の文例を見て分かるように、格助詞の「が」と同じように主語を示す物だとは言いにくい所がある。
この分類を考えた人にとって、2つの助詞「は」と「が」は全くの別物に見えたわけで、その点においてはとっても鋭い指摘だと思う。
「は」の使う場所は比較的自由
以下の文章を例として、ちょっと考えたいと思う。
私は 15日に 参加するのが 無理です。
「15日に参加するの」という部分が名詞句であり無生物主語になる。
「無理です」は名詞述語文だが、意味的には形容詞なので「形容動詞」と呼ばれたりする。
文例
- 私は15日に参加するのが無理で…。
- 「私に関して言うならば、15日に参加するのが無理だ」という最も正統派な文章。
- 私が15日に参加するのは無理で…。
- 「私が15日に参加する事」について言うならば、と解釈できる文章。
- 私が15日に参加するのが無理で…。
- 本当は主語を2つも入れたくないが「私が15日に参加するの」をまとめて名詞句としてしまえば問題ない。
- 私は15日に参加するのは無理で…。
- 「私」および「15日に参加する事」の2つに関して言うならば、という文章。
- 私は15日は参加するのは無理で…。
- 「私」「15日」「参加する事」という3つに関して言うならば、という文章。
- 私が無理です。
- 「15日に参加するのが無理」な事は説明済みであるため省略。「誰が」を問題にしている文章。
- 私は無理です。
- 「15日に参加するのが無理」な事は説明済みであるため省略。「私はどうか」を問題にしている文章。
- 15日は無理です。
- 15日について言うならば、無理である。何が無理かは説明済みであるため省略。
- 15日が無理です。
上記の文例は、このように解釈の仕方次第でどれも可能だ。
3つの助詞の使われ方について
「は」と「が」の使い分けはよく問題になるのだが、これに加えて「って」の使い方も一緒に確認するとなお良い。
主語を掲げる3つの助詞
- 私ってドジ。
- 私という物は、ドジな性質を持つ物として定義できる。
- 私はドジ。
- 私がドジ。
格助詞「が」の利用傾向
(1)主語を明らかにしたい時
文例
- え… 私が?
- 「こちらが 猫カフェの 店長さんです。」「はい、 私が 店長です。」
- 教科書では「私は…」と作文しがちだけど「この人です」「はい私です」と言う時はこうなる。
- すると、 今まで 黙って聞いていた アルミンが 口を開いた。
- 「どの人物であるか」を重要視している場合は、格助詞「が」を使う傾向がある。
- 1組の 人達が 左側、 2組の 人達が 右側に 並んでください。
- あもりちゃんが 参加するの?
(2)主語が疑問詞である場合
文例
- いつが 定休日?
- どこが 入口なの?
- 何時頃が いい?
ちなみに…
- モフレルくんが、 どの猫を 叩いたの?
- 主語に焦点が当てられることから「モフレルくんが叩いたの?」「どの猫を叩いたの?」という2つの意味が生じる
主語を尋ねる時は格助詞の「が」を使う。これは決まりだと思っていい。
したがって「何は」「どの部屋は」のような文章を作ることはない。
(3)可能表現の構文として
文例
- 仕組みが よく 分からない。
- あの先生は 英語が 話せる。
- 子ども本人の 気持ちを 分かろう と する。
- 「○○を○○する」という構文であるため普通に目的語として扱う。
- 英語を話せる先生が うちの学校に いる。
- 格助詞の「が」の重複を避けるため、「を」という格助詞を使った。
ヒンディー語と同じで、「できること」を主語として掲げるのが通例である。
しかし「〜をできる」「〜をわかる」という作文が文法上誤りだとは言いにくい所がある。
複雑な構文になってくると、素直に「を」という格助詞を用いる傾向が見えてくるからだ。
(4)無生物主語、形容詞述語文
文例
- 片付けには もう少し 時間が いる。
- うちは これが 欲しい。
願望を表す表現にも、対象を主語とする「猫が飼いたい」対象を目的語とする「猫を飼いたい」の2通りがある。ただしこれについては、どっちでもいい。
副助詞「は」の利用傾向
(1)述語を明らかにしたい時
文例
- えーと、 じゃあ 私は…?
- そして ジークの元へと 駆けつけた エレンは……
- 私は ここの猫カフェで ボランティアを しています。
- 1組の 人達は 左側、 2組の 人達は 右側に 並んでください。
- あもりちゃんは 参加するの?
(2)目的語が疑問詞である場合
文例
- 次は 何を やる?
- 昨日 買った カップ麺は どこ?
- これは 誰の 荷物?
ちなみに…
- 「これが 塩で、これが 砂糖で、」「待って、えーと、これが 何?」「砂糖。」
- 水分が どの程度 含まれているか 調べる。
目的語を尋ねる場合、原則として「は」という助詞を使うのがいい。
ただし格助詞「が」と一緒に現れる場合が無いわけではない。
(3)対比のニュアンスを含む場合
文例
- インストールは 完了した。
- 「だがしかし他の物については…」という意味が隠れている。
「だが作業はまだある」「だが起動はできない」など。
- 合格する自信 ないけど、 受験しては みるよ。
「それについて語るならば」という意味であることから「対比」のニュアンスが生まれる。
知りたい情報がいくつか有る中で「Aについては」と言えば「A以外については、なんて言うんだろう?」と期待してしまう。
したがって、どのような文章だと対比になるのかは前後の文脈による。
法則を見出すことがナンセンスであれば「文脈次第」という説明で片付けた方がいい。
そういうコンテキストの問題は「いじめられた→かなしい」という連想の働く脳ミソなら理解可能な事だから大丈夫だ。生徒を見くびらないでくれ。
「〜してはいる」「〜してはない」など連用形の後にわざとらしく挿入している時は、ほぼ確実に「対比」の意味をちらつかせている。
(4)否定文の目的語として
文例
- 私は… あそこの道は あんまり 通らない。
- うん、忘れ物は してないね。
- 忘れ物を しないように、 よく 確認する。
- 個別案件ではなく、一般的なことを言う場合は普通に格助詞の「を」でいい
会話の中での否定文は「何々は何々しない」という形になりがち。
否定文の性質上、話題に上がった物を否定するという場面がほとんどだからだろう。
(5)無生物主語や形容詞述語文で、動作主体を示す
文例
- 小さい子は 無理です。
- こんにゃく文
- 「何々する事が」という無生物主語が省略されていたりする
- 何よりも 私は、 参加できた事 こそが うれしい。
- 弟は 昔、 犬が 嫌いだった。
対象物を主語として掲げる文章で動作主を表したい時、「私が」とすると主語が重複してしまい、あまりよろしくない。
その場合、「は」という助詞を代わりに使うことができる。
「って」の利用傾向
(1)定義をたずねる時
文例
- ハビタブルゾーンって 何?
- これって、 何に 使う 道具?
(2)特にこれについて述語を明らかにしたい時
文例
- あれ、今日は 先生って、 何時に 来るんだっけ。
- とりあえず先生について、現在の予定とか状況を訪ねている。
- ええー、私って 学年 最下位!?
- そうだなぁ、私は… 五時ぐらいに 帰るかな。
定義・性質・状況についてしゃべる時に使う。
「というのは」の省略なので本質的には副助詞の「は」と同じはずである。
「は」の場合は対比のニュアンスの生じることがあるが、「って」の場合はそういうことが無い。
(3)おおよその性質について言いたい時
文例
- ぽわんちゃんって、 外国語は いくつか 勉強してるの?
- いやぁ、映画って 本当に いい物ですね。
「に」と「には」の違い
「には」をひとかたまりに考えず、「に」と「は」を別々に分けて考えてください。
助詞「は」の使い方は、さきほど説明したのと全く同じ理屈。
「私にはこの料理は食べやすい」という例文で考えてみるけど、「この料理が」という文章も作れる。
ただし「食べやすい」の主語は「私」ではなく「料理」なので、「この料理を」とは言わない。
文例
- 「私に この料理は 食べやすい。」
- 「私は この料理は 食べやすい。」
- 助詞「に」を使わずに、主題マーカーだけで表現することも可能
- 「私には この料理は 食べやすい。」
- 「誰々に+述語」という形の能格構文、そこにおまけで助詞「は」を付け加えた物
「能格」という用語は外国語の文法書からパクってきた。能格とか言っていいのかな…?「与格」かな。
あと、細かい話だけど「私にできる!」「私にできない!」みたいに能格しかない平叙文って、どうも具合がよく無いのか、見かけないんだよね。
その場合は例えば「私にもできる!」「私にしかできない!」みたいに、何かしら適切な助詞を付け加えれば具合良くなるらしい。
「に」と「で」の使い分け問題
この2つの助詞は用法が多いので、それは辞書なり教科書なりに任せるとして、
使い分けが問題となる部分について語る。
場所を表す場合
- 布団よりも ベッドで 寝たいです。
- 動作の場所は「で」を使って示す
- この場合の「寝る」は sleep の意味
- こんな ふかふかベッドに 寝てみたい。
- 存在の場所は「に」を使って示す
- この場合の「寝る」は lie down の意味
選択範囲を表す場合
- 中華料理で 嫌いな物は ありますか?
- この場合の「で」は「〜に於いて」「〜に関して」と同じ意味
- 「で」を使う方が普通の言い方だと思う
- 中華料理に 嫌いな物は ありますか?
- メニューの中華料理の部分を指差しながら話している様子、あるいはお皿の中に嫌いな具材が含まれているか聞いている様子を想定できる
- 「ここに書いてある」と言う時の「に」として解釈すれば、間違いではない
所要時間・分量・選択範囲なんかを表す時は「で」を使う。
ただし「ある」「いる」「書いてある」みたいに平面・空間的な範囲を表す述語を使う時は、「に」を使うこともできる。
受け身を表す構文で
- 親に 禁止されています。
- 法律で 禁止されています。
- この場合の「で」は手段を表す
- 「猫に爪でひっかかれる」と同じ理屈で解釈した方が、ややこしくない
時刻を表す構文で
- 「何時 頃に やる?」「じゃあ 5時 ぐらいに。」
- 時間軸上の場所を選ぶ場面では、普通は「に」を使えばいい
- 「お時間は どう されますか?」「5時で お願いします。」
- 予約時間を選ぶ時などの言い方で、手段とか選択範囲とかそれに準じた使い方
その他
- 「朝食に 何を 食べますか?」
- この場合の格助詞「に」の用法について公式見解が見当たらない。「朝食の時間に」「朝食のために」「朝食に応じるにあたって」どのニュアンスだろうか?
「で」をなんでもかんでも格助詞として扱ってしまうと、かえって用法の説明がややこしくなる。
「道路が渋滞で遅れた」とか「今夜はカレーでいい?」と言う時の「で」は、あくまでも助動詞「だ」の連用形であって、格助詞の「で」とは違うかもしれないよね。
格助詞のアクセントについては 声調 というページに載せてみた。