格助詞などの使い分け方

せっかくこんなサイトを作ったので、ついでに格助詞とかそういう物の使い分けも取り上げてみようと思う。
語尾表現とは違って幸いにも役割語に汚染されていない部分なので、批判的な記事を書かなくて済む……ここは平和だ。

助詞はだいたい省略できる

日本語の正式な文章では、格助詞などを省略せずまじめに付けていく。
しかし普段の会話では、次の4つに限っては曖昧にならない程度でガンガン省略できたりする。 たとえば次のようになる。
今日うち弟とケーキ作る約束あるからゲーセン行かない。
もしも助詞をしっかり付けるなら次のようになる。
今日うち弟とケーキ作る約束あるからゲーセン行かない。

どこまで省略可能とするか、どのような語順が望ましいかは話し手の裁量による。
あんまりルールを見出してもしょうがないので、相手に意味が通じやすいかどうかを考えればいい。

どこまで省略可能かな?


中でも特に省略されやすいのは形容詞述語文。
「これおいしい」「あの先生怖い」「部屋の中あったかい」など、日常会話においては助詞をつけないのがデフォルトだと言える。

複雑な格変化で恐れられているあのロシア語も、時として「え、ただテキトーに単語並べただけ?」みたいな恐ろしくシンプルな構文になることがある。
ロシア語も日本語も語順は比較的フリーなので、名詞や副詞を転がすだけで文章を作れちゃうことも少なくない。
まあ自由とは言っても、重要度・時系列・相互連関はちゃんと考えて並べてほしいものだが。
ロシア語の語順が比較的自由なのは「格変化」があるからだと言われるが、「格変化」らしき物の見当たらないスペイン語が自由奔放な語順なのには驚いた。
日本語の格助詞もオマケに過ぎないって事かねぇ。

格助詞などの使い分け方

ウチのサイトではこうやって説明するけど、他の所ではどう説明しているかなあと見比べて遊んでみるのも良いかもね。
露骨なジェンダーバイアスをぶっ放すヤツもさすがにいないし、ここは実に平和なセクションだ。

格助詞「を」の使い方

フィーリングに任せず文法規則で考えれば何も難しくない。
英文法のSVOで言う所のOであり、基本的には動詞にしか使えないということだ。

「を」の使える物、使えない物

「を」の使えない動詞

目的語を添える時に必ず「に」という格助詞を使い「を」という格助詞を使わない動詞がある。
とある外国語の文法用語を借りて言うならば「動詞の格支配」ってヤツだ。

間接目的語をとる動詞

所有格と同格について

格助詞「の」は、普通は【所有格】や【限定用法】としての解釈が優先される。
他にも【同格】としての使い方があり、単純に文章だけを見ると曖昧さが生じているようにも見える。
ただし現実的には文脈や状況から明らかに判断できるので、実際の会話で混乱が生じる事はないはず。

格助詞「の」の例

文脈判断を要する事は自然言語の大原則のひとつなので、2通りの解釈があるからといって難しがらないでくださいね。

「の」と「な」の違い

「の」は格助詞だけど、「な」は格助詞ではない(助詞ですらない)。
「な」は助動詞「だ」の連体形であり、文法的に全く別物だという事に気をつけよう。
(あと、これは名詞を修飾する時だけの話ね。形容詞や動詞を修飾する時はそもそも何も挟まないので。)

「な」の例

この2つの使い分けは習慣的な物ではあるが、だいたい、単に性質を述べる場合は「〜な」を用いて、限定する場合は「〜の」を用いる傾向がある。

一般的には「名詞+だ」のことを「形容動詞」「ナ形容詞」などと言うけど、ウチとしては「意味上は形容詞的だけど、あくまでも名詞述語文である」という扱いにさせていただいている。その方が構文解析しやすいから。

2つの格助詞「が」と「の」

ひとかたまりの名詞句の中では、格助詞「が」を「の」に置き換えることができる。

文例

意味はどちらも全く同じで、文章構造をわかりやすくするための物にすぎない。
「イノシシの掘った穴」というように「の」で接続すれば、どこからどこまでの範囲が主語なのか(あるいは目的語なのか)区切りを判断しやすくなる。

主語イコール目的語にならないパターン

何の前提もなく「私は猫だ。」と発言すれば、基本的には「私イコール猫」として解釈される。
しかし会話の流れによっては必ずしもそうならず「私の目的は猫」という意味になる事も多い。

うなぎ文(人魚構文)

この会話文例では「お菓子をもらう」「動物を世話する」という作業内容すなわち述語は説明済みであり、誰が何を担当するか決める段階に入っている。
したがって本当に述語というべき部分は、冗長性を避けるために省略されている。
このような文体は、各自の役割分担を決めたり、物と物とを結びつけるような場面でよく起こる。

「人魚構文」というのは言語学者の角田太作による独自の用語で、ネーミングは面白いんだけど、単なる「主題マーカー」にすぎない気もするけどね…

「好き」を使った表現

日本語の愛情表現では「私の好きな物」というラベルの貼られた対象物を主語として掲げる。
愛される側を目的語にしないのはなんだか風変わりかもしれないが、この程度の事は「語学あるある」だ。

文例

他の言語での好き嫌い表現

このように、できるだけ色々な言語にふれあっておけば「日本語ってなんでこんなに変なんだろう」みたいな劣等感から解放されるはずだ。

異なる品詞に分類された「は」と「が」

副助詞の「は」の基本的な意味は「これについて言うならば」である。
主題を先に挙げる構文はわりとアジア言語の中で見かけやすく、例えば「ホットケーキは食べ飽きた」を中国語で「鬆餅我吃腻了」と言ったりする。
次のように、本来なら「が」「に」「を」といった格助詞を使うべき所を、「は」に付け替えることができる。

副助詞「は」の使い方

「が」「の」「に」「を」みたいな助詞は「格助詞」に分類されているが、これらはドイツ語やロシア語の文法に出て来るあの「格」と同じ働きをする。
すごく簡単に言ってしまえば、どの単語が主語でどの単語が目的語か示すのが「格」である。
つまり日本語で主語を示す助詞と言ったら、あくまでも「が」であるという事だ。

一方「は」という助詞は格助詞の仲間から外され、「係助詞」とか「副助詞」の中に分類されている。
(係助詞はどちらかと言うと古語文法のヤツだから、そこに分類していいのかなという迷いはある。
副助詞というのは、まあ「その他いろいろな助詞」みたいなもんだね…)
あたかも「は」を使って主語を示しているように見える事も多い。
主語に注意を向ける必要がない場合、「は」で代用する事が多いのも事実。
しかし先程の文例を見て分かるように、格助詞の「が」と同じように主語を示す物だとは言いにくい所がある。
この分類を考えた人にとって、2つの助詞「は」と「が」は全くの別物に見えたわけで、その点においてはとっても鋭い指摘だと思う。

「は」の使う場所は比較的自由

以下の文章を例として、ちょっと考えたいと思う。
私は15日に参加するのが無理です。
「15日に参加するの」という部分が名詞句であり無生物主語になる。
「無理です」は名詞述語文だが、意味的には形容詞なので「形容動詞」と呼ばれたりする。

文例

上記の文例は、このように解釈の仕方次第でどれも可能だ。

3つの助詞の使われ方について

「は」と「が」の使い分けはよく問題になるのだが、これに加えて「って」の使い方も一緒に確認するとなお良い。

主語を掲げる3つの助詞

格助詞「が」の利用傾向

(1)主語を明らかにしたい時

文例


(2)主語が疑問詞である場合

文例

ちなみに…

主語を尋ねる時は格助詞の「が」を使う。これは決まりだと思っていい。
したがって「何は」「どの部屋は」のような文章を作ることはない。

(3)可能表現の構文として

文例

ヒンディー語と同じで、「できること」を主語として掲げるのが通例である。
しかし「〜をできる」「〜をわかる」という作文が文法上誤りだとは言いにくい所がある。
複雑な構文になってくると、素直に「を」という格助詞を用いる傾向が見えてくるからだ。

(4)無生物主語、形容詞述語文

文例


願望を表す表現にも、対象を主語とする「猫が飼いたい」対象を目的語とする「猫を飼いたい」の2通りがある。ただしこれについては、どっちでもいい。

副助詞「は」の利用傾向

(1)述語を明らかにしたい時

文例


(2)目的語が疑問詞である場合

文例

ちなみに…

目的語を尋ねる場合、原則として「は」という助詞を使うのがいい。
ただし格助詞「が」と一緒に現れる場合が無いわけではない。

(3)対比のニュアンスを含む場合

文例

「それについて語るならば」という意味であることから「対比」のニュアンスが生まれる。
知りたい情報がいくつか有る中で「Aについては」と言えば「A以外については、なんて言うんだろう?」と期待してしまう。
したがって、どのような文章だと対比になるのかは前後の文脈による。

法則を見出すことがナンセンスであれば「文脈次第」という説明で片付けた方がいい。
そういうコンテキストの問題は「いじめられた→かなしい」という連想の働く脳ミソなら理解可能な事だから大丈夫だ。生徒を見くびらないでくれ。

「〜している」「〜してない」など連用形の後にわざとらしく挿入している時は、ほぼ確実に「対比」の意味をちらつかせている。

(4)否定文の目的語として

文例

会話の中での否定文は「何々は何々しない」という形になりがち。
否定文の性質上、話題に上がった物を否定するという場面がほとんどだからだろう。

(5)無生物主語や形容詞述語文で、動作主体を示す

文例

対象物を主語として掲げる文章で動作主を表したい時、「私が」とすると主語が重複してしまい、あまりよろしくない。
その場合、「は」という助詞を代わりに使うことができる。

「って」の利用傾向

(1)定義をたずねる時

文例


(2)特にこれについて述語を明らかにしたい時

文例

定義・性質・状況についてしゃべる時に使う。
「というのは」の省略なので本質的には副助詞の「は」と同じはずである。
「は」の場合は対比のニュアンスの生じることがあるが、「って」の場合はそういうことが無い。

(3)おおよその性質について言いたい時

文例

「に」と「には」の違い

「には」をひとかたまりに考えず、「に」と「は」を別々に分けて考えてください。
助詞「は」の使い方は、さきほど説明したのと全く同じ理屈。

文例

細かい話だけど「私にできる!」「私にできない!」みたいに能格しかない平叙文って、どうも具合がよく無いのか、見かけないんだよね。
その場合は例えば「私にもできる!」「私にしかできない!」みたいに、何かしら適切な助詞を付け加えれば具合良くなるらしい。
「能格」という用語は外国語の文法書からパクってきた。能格とか言っていいのかな…?

「に」と「で」の使い分け問題

この2つの助詞は用法が多いので、それは辞書なり教科書なりに任せるとして、
使い分けが問題となる部分について語る。

場所を表す場合

選択範囲を表す場合

所要時間・分量・選択範囲なんかを表す時は「で」を使う。
ただし「ある」「いる」「書いてある」みたいに平面・空間的な範囲を表す述語を使う時は、「に」を使うこともできる。

受け身を表す構文で

時刻を表す構文で

その他

「で」をなんでもかんでも格助詞として扱ってしまうと、かえって用法の説明がややこしくなる。
「道路が渋滞で遅れた」とか「今夜はカレーでいい?」と言う時の「で」は、あくまでも助動詞「だ」の連用形であって、格助詞の「で」とは違うかもしれないよね。

格助詞のアクセントについては 声調 というページに載せてみた。

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