日本語の語尾「んだよ」の使い方
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「〜んだよ」はこうやって使うんだよ。
〜よ。 は相手を矢印でプスッと刺すイメージであるのに対して、「〜んだよ」は相手に岩を投げつけるイメージだ。
つまり、「んだ」はその人の抱えている事情を指し示して、それを「分かったかコラ!」と言って投げてよこすんだよ。
…と、このような説明ではキツイ表現であるかのような誤解を与えてしまうので、まじめに丁寧に説明しよう。
冷たい印象を与える声遣いの俳優もけっこういて、そういう人が「〜だよ」って言うとキツく聞こえてしまうのだが…。 だからドラマの印象ばかりに引きずられて優しい・きついを判断しないように注意。
「よ」と「んだよ」の違い(1)
というわけでお前んちに来たんだよ。「んだ」が付いているので、「来た」という事実だけでなくそれ以前の出来事も全部ひっくるめて、「よ」で相手に伝えている。 英語で言うなら「That's why 〜」
というわけでお前んちに来たよ。語尾の「よ」は基本的に単一の物事しか表さず、相手の注意を引くのは「来た」という事実だけである。「というわけで」という接続詞は有るものの、ネイティブ的には話題転換したようなイメージがある。
上の例は「今までの話の内容を受ける」パターンだが、次の例は、逆に「これからお話がある」パターン。
「よ」と「んだよ」の違い(2)
ママね、今日は用事があるよ。「今日は用事がある」という単独の事柄を言うだけの場合。たとえば今日は予定があるか質問された時など。
ママね、今日は用事があるんだよ。実は今日は用事があるという話を打ち明ける場合。これはこの一言だけで完結するものではないから「んだよ」となる。
お菓子持ってきたよ。「お菓子を持ってきた」というひとつの事を言いたいだけなので、「よ」だけを付ける。
お菓子持ってきたんだよ。下手に「んだよ」を使うと「訳あり感」が出てしまうが、この用法が直ちに誤りだという事でもない。より詳しくは「〜んだ」のページで。
訳ありな感じで言う「〜んだよ」
「日本は何々だ」を英語で言う時、そのまんま「Japan is xxx」という文章にすると「ウチの国には無いとでも??」と思われるらしい。
そこは例えば「They ... in Japan」としたり、「There are some...」とか「pretty」など程度を表す単語を挟むと良い。
っていう話が 英語 足を引っ張る9つの習慣(デイビッド・セイン著) で詳しく語られているので、興味のある人はどうぞ。
…それと同じぐらい細かい話ではあるんだが、もう一度「よ」と「んだよ」の比較をしてみたい。
「んだ」は事情を知っている風味を出す、というお話。
「よ」と「んだよ」の違い(3)
ねぇ知ってる?フラミンゴは赤い母乳を出すよ。「赤い母乳を出すから何なんだ。」 純粋な終助詞「よ」には相手に何らかのアクションを期待する感じがある
ねぇ知ってる?フラミンゴは赤い母乳を出すんだよ。「へぇ〜そうなんだ。詳しくはもっと話を聞けば分かるだろうけど、まあいいや。」 「んだ」を挟み込むとただお話をしているだけのような印象がある
ねぇ知ってる?ペットボトルは分別しない方が地球に優しいらしいよ。「らしい」で「訳あり」な感じを出しているので「んだ」は付けなかった
ママ会話としての「〜んだよ」
「〜んだ」という言葉は当たり障りない語り口で使いやすいため、親が子どもに教えて聞かせる時には「〜んだよ」が愛用されている。
特に「訳あり」な感じを持たせながら。
落ち込んでる子どもに「んだよ」を使う例
「宗介さ、運命ってものがあるんだよ。辛くても運命は変えられないんだよ。」
「だって愛する人が死んじゃうんだよ。いなくなっちゃうんだよ。」
「明日からいい子にするんだよ。」
エレンの母「どんなに相手が悪くても憎らしくてもね、突っかかりゃいいってもんじゃないんだよ!」 ミカサの母「ミカサも自分の子供ができた時にはこの印を伝えるんだよ。」 ライナーの母「私達は見捨てられたんだ…だから壁に囲まれた収容所に住んでいるんだよ。」
…と、漫画の台詞ばかりでアレだけど、ここは本当、いい台詞なんだよ。
また、語尾の「よ」を上がり口調にすると付加疑問「OK?」のニュアンスが現れる。
上がり口調の「〜んだよ」は、一種の命令表現として使うこともできる。
例えば「早く帰ってくるんだよ。」のように使う。
「早く帰ってきなさい。」と似ているが、「んだよ」を使った場合は早く帰って来るべき理由があるような感じを与える。
命令表現としての「やるんだ!」はあんまり聞かない気がするが「やるんだよ!」なら親子会話としてありふれた言い回しだ。
反抗期みたいに「うっせーんだよ!」という言葉が頭に浮かんでも、ただちに「〜んだよ」をキツイ言葉だと決めつけないように。状況次第だ。
趣味で語学をやっていると、ついつい強烈な例文を挙げて来てしまいがちだけどさ、
まずは落ち着くんだ。もう少しクールダウンしてゆっくりと検証しよう。
認知症のおばあちゃんを題材として扱った絵本「わすれたっていいんだよ」というのが有ったりする。
「〜したって」というのは「〜したとしても」の略で、完了形のニュアンスを帯びる。
「いいよ」ではなく「いいんだよ」と言っているのはなぜか、これは宿題としてみんなに考えてもらおうかなぁ…とも思ったんだけど、さっそく今から考えてみよう。
「んだよ」を付ける意味
忘れたっていい。これだけだと会話なのか標語なのか分かりにくい。前後の文脈なしに、一文だけで会話っぽさを出す方法はないものだろうか…?
忘れたっていいんだ。「んだ」を付ければ口語表現らしくなるが、これでも会話なのか独り言なのか分かりにくい。終助詞「よ」を外してしまうと、私からあなたへの語りかけという意味合いが不明瞭になる。
忘れたっていいよ。ストレートに終助詞「よ」だけを使うと、具体的に受け答えをしているように聞こえる。したがって絵本の題名をこうすると「何を?」という印象がちょっと有る。
忘れたっていいんだよ。そこで「んだ」を付け足すと、漠然と何らかの事情があるような印象が生まれる。詳しい事情については後でゆっくり絵本の中で話すからね…みたいな感じで、これぐらいの口調がちょうどいい。