日本語の語尾「んだ」の使い方

「〜んだ」はこう使うんだ。

「〜という物である」を究極的に縮めたのが「〜んだ」なんだ。
原義を考えると「〜とはこういう物だ」と決めつける言い方だが、日常的に連発している「んだんだ」にそこまで押し付けがましい意味合いは残っていない。
もっと軽い言葉になっている。

「これ、おいしい!」と言った場合は、文字通り「これがおいしい」という意味でしかない。
「これ、おいしいんだ!」と言った場合は、これがおいしいという事に関する様々な事情が言葉の裏に隠れている。
なので、その人とおしゃべりを続けていけば、これがなぜおいしいのかという話について、いろいろ聞く事ができるだろう。

日本語の文章には「の」とか「ん」があちこちに現れる。
その意味合いは一様でないが、おそらく歴史的には「物」という名詞に由来するものである。
本来的な意味は「物、事、状況、わけ」であることに注意しておくと良い。
英語にたとえれば、おそらく "That's the thing" に類似したニュアンスだろう。

「んだ」の文例

「んだ」のうまい使い方(その1)

「んだ」という語尾を、関連する言葉を袋の中にまとめる物として捉えてみよう。

「目はつりあがってる」「耳はとんがってる」「ひげがある」などいくつかの発言があり、それらを「猫なんだ」という言葉でグループ化している感じだ。
話し手自身が「んだ」を使えば「私はその事情を知っている」または「以上がこれに関する説明だ」の意味になる。
聞き手が「んだ」を使えば「へえ、そうなんだ」と相手の話を理解したことを表す。

「んだ」のうまい使い方(その2)

「〜んだ。」は基本的には「こういう事情がある」ということだが、そのニュアンスを利用して「詳しい話はさておき」という効果を与えることができる。
例えば会話で単に「あの映画もうやってる。」とだけ言うと、聞き手はそれに関して何らかのアクションをしなきゃいけないのかと考えてしまいがちだ。
「あの映画もうやってるんだ。」と言えば、聞き手の反応は「へえそうなんだ」で終わる(状況次第ではあるが)。
参考情報としてしゃべりたいだけの時に便利な表現である。

この微妙な作文の仕方は中国語の「吃了飯」を連想させる部分だけど、「何それ?」と思う人はググれば簡単に出てくるので。

イントネーションについて

対話文での語尾「んだ。」の発音は、自分の話している内容については上がり口調、相手の話している内容・自分の知らなかった事については下がり口調になる。
たとえば「(私は)話があるんだ。」を下がり口調で言うのはお芝居でしか聞いたことがなく、自然なイントネーションだとは言いにくい。
どうしても下がり口調が良ければ、私がネイティブチェックをするなら「あるの。」「あって。」に直させていただく。

また、丁寧語との対応は次のようになる。
タメ語丁寧語
自分の話をする時尻上がりの「〜んだ。」
尻下がりの「〜の。」
尻下がりの「〜んです。」
自分の話を強く念押しする時尻上がりの「〜の!」尻上がりの「〜んです!」
相手の話をわかる時尻下がりの「〜んだ。」
尻下がりの「〜の。」
尻下がりの「〜んですか。」
なんだか不規則そうに見えるが、自分語りの「んだ」と強い念押し以外はすべて下がり口調だと思ってもいい。

意味はない?!

おやじ「『んだ』は、なんのために付けてるんですか?」
モンスター「意味はない。」

正直に言うと「だ」と「んだ」の区別を全く考えずに文章を書いている人も少なくないのである。
だから、語尾表現「んだ」のもうひとつの意味はこうなるのである。「意味は無い」のである。

あまり意味の無い「んだ」の使用例

ここであまり意味が無いというのは気分の問題ではなく理屈があるのである。
この2つの文例は、言外に込められた意味がある訳でも無く、ただこの一文だけで言いたい事が終わっているのである。
つまり「〜という物だ」の「物」の中に詰め込むべき情報が「薬物乱用は…」「政治家は国民の…」しかないので、いわゆる「二重表現」になってしまっているのである。
関係のある話をしてきた後なら「〜という訳です」という意味に取ることもできるのである。
が、「文末のその部分は、絶対、何も考えてないで書いてるだろ」と思う事はやっぱり多いのである。

「んだ」に関する色々な考察

「んだ」をつけると主観的で、つけないと客観的…という説明をしている人をどこかのサイトで見たことがあるんだけど、それと同じ説明をしている人を他に見つける事はできなかった。
(HiNativeで見たかも)
それはその人の独自見解だったのかもしれないけど、決して間違っている訳ではなく言い得ている所がある。
「んだ」というのは基本的に、まだ事情を知らない人に対して教えて聞かせている場合が多く、たいていは人それぞれ独自に抱えている事情だったりする。そういう意味では主観的だと思うんだ。
説明するまでもない単なる客観的事実や、一言だけで済むような説明では、おそらく「ん」を入れない方がキレイな文章になる。

モンゴル語の「юм」は日本語の「んだ」とけっこう似ているらしく、 このページ ではフォーカスの調整という働きについて説明されている。
読んでみたけど、これで本当にフォーカスを明示できると言えるのか疑問ではあった。
要するにこれは再確認をしたい時の言い回しだよね。

文法の解説をしよう。
「動詞+んだ」「形容詞+んだ」「名詞+なんだ」というように、名詞の場合は間に「な」を挟む。
これはお約束事なので、「な」は特別な感情を表しているとかそういった事は特にない。

あ、そうそう…ですます体の場合は「〜のです」または「〜んです」となるぞ。
「〜ですの」という語順にはならない(西日本の言葉だと「の」が後ろ側に付くらしいが)。

「そうなんだ」と「そうなの」を徹底比較

ネイティブ会話では使い分けが重要な語尾 〜の。 の説明ページとあわせて、簡単なおさらいをしよう。

上がり口調の例

疑問文の例

下がり口調の例

ちなみに「そうですか」と「そうなんですか」を使い分けるポイントは……
単一の事柄について答えを得た時のあいづちとしては「そう」「そうか」「そうですか」でも十分。
連続性のある事柄…というか、あらかじめ聞き手が関心を持っている事柄についての追加情報を得た時は「そうなの」「そうなのか」「そうなんだ」「そうなんですか」となる。
おおまかな傾向としては、質問のやりとりをしている時は「そうですか」、いろいろ雑談している時は「そうなんですか」というふうになりやすい。

「〜んだ?」を使った疑問文

原則として、「〜だ」「〜んだ」を使って疑問文を作ることはできない。
したがって「〜んだ?」で終わる疑問文は「なに、なんで、どこ、だれ」等の疑問詞を含むパターンに限られる。
「〜の?」を使った疑問文がよく使われるのとは対照的に、「〜んだ?」の疑問文を使える場面はそれほど多くない。
その辺りについては本サイトの「独白体」のページで解説する。

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