日本語の建前・曖昧・省略・婉曲・反語をまじめに考える


めっちゃかわいいタイの喫茶店を見つけました。残念ながら2019年夏までの営業だったようです。しかしカワイイ。
FAHFAHS STATION - ShopSpotter
日本語の「かわいい」をタイ語では「น่ารัก」と言います。この2つは全く同じ概念を指します。
少なくとも、辞書で引いた時の1番目の語義に関しては、別にニュアンスの違いなんかありません。
では本題に入りますが、私は今回も「激おこ」です。ネット上の日本語学習コンテンツを見ていて、どうも説明の仕方が極端だなあと思うことがあり、このようなページを用意しました。
ついでに、「日本語って曖昧で難しいね」などと言われがちな表現を理屈で解明・モデル化しようとするのが「語用論(pragmatics)」です。こういう学問が存在するというのは、要するにハイコンテキストなのは日本語限定じゃないからですよ。
この辺の言語学をきちんと学んでいる人だったら、このページを読む必要は無いはずなんですよ^^;
まあ、ググればたくさんの資料があるはずなので、一度は目を通してみると良いと思います。

建前と皮肉の違い

ネット上ではこの2つを区別していない事が多いですが、これらを混同するのは良くないと考え、しっかりと区別する事にしました。

ドイツの歴史に残る有名なタテマエ「ARBEIT MACHT FREI」。
建前にはあんまりキレイなお話はなくて、ほとんどは不誠実な例ばかりである。

建前とは何か?

ネットスラングでよく「あっ…(察し)」とか有りますけど、こんなのは人間の心理として有って然るべき物だよね、という事を最終的には理解してほしいです。

あいさつ言葉

これはほとんど単なる決まり文句です。
中国人に聞かれたら「再見」と同じもんだと説明することにしています(笑)。
次回会う予定なんか決めてないのに、別れる時に「see you」とか言うのと同じ理屈ですから。
そして日本人がこのように話した場合は、文字通りに受け取ってしまって問題ありません。
実際こういった挨拶言葉は日本人でもポジティブな意味で受け取りますし、それに歓迎の言葉を伝えた以上は、そのように振る舞う責任が生じるからです。
「遊びにおいで」と言ったくせに、いざ遊びに来てみたら「あれはただの建前だから」とか言い訳して逃げる人は、ただの「へそまがり」な人です。

現実的には「答えられない事だってある」し、「さすがに都合の悪い時に来られても困る」「あまり頻繁に会いに来られても困る」という事はもちろんあります。
だけど理想としては「特に問題なければ、可能ならば、基本的には遊びに来る事を拒まないよ」という事を言っているのです。
もしかすると世界中を探せば「頻繁に会いに行く事を良しとする文化」もあるかもしれませんが…あるのかな^^;
日本の猫カフェでも、ルールの厳しいお店もあれば、緩いお店もあります。
日本の飲食店でも、何も言わなくても注文を聞きに来る店もあれば、大声で呼ばないといつまでも来ない店もあります。
同じ学校の中でも、教室によって微妙にルールが違ってたりしませんか?文化の違いってのは、そういう事です。
まあ、それぞれの事情があるんです。そういう意味では「文化の違い」を考慮するのも大事ではあります。
しかし残念ながら「文化の違い」を「民度の違い」と履き違えて語る人が大勢います。

あくまでも仮定の表現

これもネット上の(自称)日本語教師が好んで取り上げる表現のひとつですね。
「行けたら行くとか言う人は、だいたい本当は行く気なんかないよね」というその気持ちは理解できるのですが、こういうのは「人間の心」の話であって「日本の文化」の話じゃないですよね?
「行けたら」「気が向いたら」というのはそもそも「仮定」の話なので、「行けない場合」や「気が向かない場合」があるのは当然。
もちろん、本当に都合が付いたり気が向いたりすれば「行きたい!やりたい!」と思ってる場合もあります。
「こういう言い方をしたら100%やらないつもりだ」みたいに極端に決めつけるのも良くありません。最悪の場合、大事故になります。五分五分の可能性を考えましょう。

ごまかし

建前というのは、「できればそうであってほしい」という理想や善意を述べている場合もあります。
一方で「ごまかし」のような悪意で使う事も大いに有るので、そのような場合は賢く見抜く必要があります。
しかし言われた通りに動いてくれなければ「ごまかし」が成立しないので、いずれにせよ話し手にとっては言葉通りに受け取ってほしい事に変わりありません。

恋愛関係の話題で「ごめん、ちょっと都合がつかなくて、また今度ね」という返事をもらって以降、まったく連絡がつかなくなった…みたいな事ってありますよね。
ここでは日本の「文化」ではなく「社会事情」に注目してほしくて、日本の殺人事件では「別れようと恋人に言われて腹が立って殺した」というパターンが毎年非常に多いんです。
「相手の心を傷つけたくない」なんていう教科書的な美徳ではなく、「下手に口喧嘩すると事件になるから」という防衛策でしかありません。

ちなみに、怪しいセールス(悪徳商法)を退けるには「うちは間に合っているので」的な事を言って、電話を切ったり帰ってもらったりします。
はっきりNOと答えても逆にしつこく迫ってくる事もあるので、適当な理由を言ってごまかすのもひとつの手法なわけです。

詐欺

現在の日本でも、さまざまな形の詐欺事件が大きな社会問題になっています。
詐欺師の語る事なんて、建前どころか完全にウソですけど…
(自称)日本語教師から小難しいタテマエの話を聞いて、頭の痛くなっている人ってどれぐらいいるんでしょうかね?
まあ、建前をしゃべる時の話し方と、詐欺を働く時の話し方って、はっきり言って全く同じです。
わざとらしい褒め言葉を真に受けない・うまい話には乗らない・詐欺に遭わないように気をつけるのと同じ感覚でいれば大丈夫です。
言葉の裏を読むということは、お互いに信頼しあっていない人達のやることです。
本音で語り合える仲間に恵まれるといいですね(笑)

陰口(backbiting)

「陰口」というのは、本人には気づかれないように悪口を言う事ですよね。
例えば自慢話が多すぎてウザイ人がいたとします。
この時、周りからウザイと思われてる事を本人には悟られないよう、本人のいる場面では褒め言葉を言うようにします。
別に本人に直接「あんたウザイんだよ」と伝えても良さそうな物ですが、あえてそうしない理由は何でしょうか…。
なんていう事を話し始めると、日本語のお勉強の話じゃなくなって来てしまうので、それは心理学の分野にお任せしましょう(笑)。
まあ、陰口と建前は表裏一体で、陰口を叩く習慣のある文化圏には必ず建前も存在するわけです。

ダウンロード禁止法

すごく分かりやすいタテマエの例をひとつ挙げましょう。
権利者に無断でアップロードされた著作物のダウンロードを違法とする法律が、日本では2009年にできました。 実際2020年までの逮捕者はゼロなので、これも一種の建前、つまり「悪い事だという認識を持ってほしいなぁ」という理想に過ぎなかったのかもしれません。理想と現実ですね。
しかし、あくまでも言葉というのは文字通りに解釈するのが原則です。むやみに逆の意味で受け取るのは絶対にやめてほしいんです。
YouTubeの(自称)日本語教師の言う通りに従えば「ここは日本だから、逆の意味で『逮捕されない』と解釈しましょう」となってしまいますが、とんでもありません。

「日本人の言う事は逆の意味で捉えなければならない」「外国人の言う事は100%言葉通りに受け取って大丈夫」という先入観が学習者の間に広がっているのが心配です。
これでは、日本に来た外国人は「あまのじゃく」のようになってしまい、外国に行った日本人は良い「カモ」にされる事でしょう。

皮肉(sarcasm, irony)

「マイペースだね。」の本音は「いつも遅刻ばかりで困る」
「時間、大丈夫?終電でしょ?」の本音は「うっとうしいから早く帰れ」
こういう backhanded な言い回しは建前ではなく皮肉と言います。

A「ウチでは男の子には家事手伝いをやらせないようにしてるんですよ。」
B「へぇー、それはゆとりがあってステキな教育方針ですね。」
B「…なんて言うわけないだろ、アホか!」
ここから3番目のツッコミの台詞を省略した物だと考えれば分かりやすいでしょう。

文脈上の不自然さを意図的に生じさせる事によって相手を不安に陥れる、けっこうダメージの大きいそしり方の一種です。
上の方で述べた通り、実際の言葉と反対の意味で受け取ってもらう事を期待している点において、建前とは異なります。
皮肉を語る時の人間の心理って何なんでしょうか…これもあんまり言語の問題じゃないので心理学の専門の方に丸投げしますけどね(笑)

ちなみにですが、日本語の皮肉には慣用表現はありません
話し手がその場で即興で考え出すことになります。

皮肉というのは「あんたと真面目にコミュニケーションするのもバカらしい」というくらい、よっぽどネガティブな感情を抱いている時にしか使いません。
もし使うとしたらよっぽど意地悪な話し方をしたい時か、たまには面白い冗談でも言ってやろうか、という時ぐらいです。
したがって平常時であれば、相手の言葉を逆の意味で捉える必要なんてまずないと思っていいので…外国人のみなさん、日本人(あるいはイギリス人)と付き合う事になっても、どうか安心してください。
相手の態度を見て、なんだか面倒くさそうに話してる感じだったり…そういう所で見分けるわけですが、言語外コミュニケーションって大事ですね。


「きれいな服ですね。」「何なのさ!!」
服装に無頓着なボーイフレンドに対する皮肉を述べる場面。


文章の中にわざわざ英単語を混ぜてあるのは、日本独特ではないという事を遠回しに述べているんだよ。
あ、ハッキリ言っちゃったら遠回しじゃないなぁ…
英語にはどんな皮肉があるのか、みんなも調べてみよう。

世界の本音と建前

속마음의 겉치레。
イスラムの教えでは「建前上は」産めよ増やせよと勧めているが、実際には妊娠中絶の問題がたくさんあるとか、そういう類の話。
科学の世界にも建前という物があり、そういう場合は「理論上は…」と言ったりします。
「社交辞令」や「お世辞」も建前の一種と考えていい。
世間的には、まあ物は使いようだけれど、独裁政治にも欠かせない要素のひとつですね。
この世界にタテマエが存在しなければ、さぞやcleanな政治・外交がおこなわれていただろうなぁ…と、そう思ってしまいます。

建前を外国語で何と言うか軽く調べると、英語では「public face」「public stance」、中国語では「場面話」とか出てくるけど、どうでしょう?
私はね、実はけっこう合ってると思うんですよね。
つまり「public」が「前」で「stance」が「建てる」に相当するわけだから、日本語の「建前」ってよくよく見てみればとても分かりやすい単語の組み合わせだと思いませんか?
訳語を一対一対応させる必要はないと思う。ひとつの単語の使われる場面には、多少のズレはある物ですから。
「keep up appearances」などなどその他の表現例も引き続き募集中(笑)

建前っていうのは、文化的な物というよりは心理学的な物に近いんです。
「検討します」だけ言われたら「たぶん良い返事は来ないだろうなあ」と思ってしまうのは、世の常、人の常。
国や民族と結びつけて考えてばかりいると100%トラブルの元になるから「○○人は一般的に○○だ」みたいに型にはめた考え方は直したいですね。

【参考】日本語学習者の「日本人の思考・行動様式に関するステレオタイプ認識」の意識化について
【参考】「日本だけじゃないよ」日本社会の「本音と建前」に外国人から様々な声
Google先生も今は、この手の日本人論には懐疑的らしい^^;

曖昧と省略と婉曲の違い

3つの曖昧性

省略表現

改めて言わなくても分かる情報、既に説明済みの情報を適宜取り除き、冗長性を避ける事によって会話を効率よく進める物です。
余分な繰り返しを無くす事によって、簡潔で短い文章にまとめる事ができます。
「代名詞」も省略表現の一種です。
ただし一定のお作法に従いながら省略する必要があり、さもなければ曖昧な文章になってしまいます。
プログラミング言語にたとえると「継承クラス」と同じような物です。

婉曲表現

断言してしまうのでなく、解釈の余地をほんのちょっとだけ許してやる事で、相手の心にゆとりを与える表現方法。
Durch die Blume sagen!!
ただし、最低限伝えるべき事それ自体はきちんと伝えます。
決まり文句やテンプレート集として存在している言い回しがほとんど。
例えば「ご期待に添えません」と言った場合、理由は明らかにしていませんが、拒否の意思表示である事は正確に伝わるから、そこに曖昧性は生じ得ません。
(ただし「死ぬ」事を遠回しに「眠る」というように同音異義語の曖昧性を引き起こす物もありえます)

「検討します」と言った時、実際にはどうせ「興味がなくて断る」んだろうというのは、ビジネスではありがちな話でしょう。
ただし本当に興味はあるけど、この場ですぐには判断しにくいから考える時間をほしい…という場合ももちろんあります。
前向きに検討してみた結果やっぱりダメだったという場合も、当然あります。
そんな事は「世の常、人の常」ですから日本語の授業でイチイチ説明する程の事でもありません(生徒のほとんどは立派な成人でしょうから)。


「後程こちらから連絡いたします」「それはお断りの常套句じゃないですか!」
タイのウェブ漫画からの一場面。日本漫画の翻訳物ではない。


あまりにも当たり前すぎてイチイチ言うのもバカらしいのですが、外国人だって感情を持った人間です。ロボットではありません。
さまざまな感情を抱く以上は「恥ずかしくて言えない事」とか「言われて傷つく事」っていうのは当然あるんです。
直球で "Ich liebe dich" ばかり言っていると、かえって愛を軽く感じると言う人もいたり、
韓国人女性の言葉をそのままの意味で受け取ってばかりいたら、察しの悪い人だと思われたり…
っていう話もあるぐらいですからね。私に言わせれば「当たり前だろ」ですが。
みなさん、外国の人と話す機会があっても、何でもぶしつけにストレートに言って大丈夫だなんて決して考えないようにお願いします。

反語表現

反語については別のページ
〜じゃん。/ 〜じゃない。
で詳しく語っているので、そちらをご参照ください。

高文脈文化・低文脈文化とは?

話の流れや常識で分かる事はあえて言わない…その程度の大きさが国によって違うという研究テーマが存在します。
詳しい事についてはググってほしいのですが、いわゆる「男脳女脳」と同じ類のエセ科学なので過信は禁物です。
置かれている状況は人それぞれなんだから、安直にグループで一括りにしちゃいけませんよね。
まるで外国人を「コミュ障」扱いするような記事を書いてしまっていないか、改めて振り返らなくてはいけません。

黒人系アメリカ人と対話してる動画の中で「英語で主語を省いたら伝わるの?」と聞かれて「まあ、話の前後の文脈で、こう言いたいんだなというのは分かるけど…」と返事していました。
主語を付けた方がきちんとした言葉になるけど、無くてもまあ察してくれるんでしょうね。
文脈(context)を読む能力は人種・民族問わず有るということです(当たり前だけどな)。
英語の教科書では、けっこう早い段階で「Why don't you...?」という表現が出てきますが「なぜしないの?」と「やろうよ。」をどうやって区別するのか、当初はけっこう悩みました。今ではそういう文脈判断は「自然言語」の特徴として割り切っています。

日本語における高文脈文化について、ブログ記事などに挙がっている例をいくつか拾って来ました。

High Context(…なのか?)の例

こういうのは「言語外コミュニケーション」と呼ぶのが正確ですが…あんまり日本語と関係のないような例が目立ちます。
生粋の日本人である私が見ても「それをイチイチ察しろというのは、さすがに意地悪すぎないか?」と感じるのが正直な所です。
伝えるべき事を伝えなくて、それじゃあいったい何のために言葉を身につけたのか分からないじゃないですか。
ちなみに最近の採用面接の「普段着でお越しください」は文字通りの意味で解釈するべきだそうです。それこそ「これは日本人の好む婉曲表現だから」と信じ込みリクルートスーツで訪問したら基本NGだそうです。
特にビジネスシーンで曖昧表現は極力避けるべきだというのが私の感覚だし、実際「〜と思う」「〜はずです」なんて話せば、きちんと状況を確かめるように叱られる事がけっこうあります。
そういう理由もあって私が日本語教室を開くとしたら、曖昧・婉曲という事ばっかりを強調しないつもりでいます。先入観とかも有りますからね。

【参考】 「日本文化はハイコンテクスト」には実証的根拠がない

日本スゴイ系の記事ばっかりだとクソだから、中国についてのお話とかも挙げておこう。
【参考】 ハイ・コンテクストとロー・コンテクストの視点からみる中国と日本
【参考】 日本人論における「タテマエとホンネ」について否定的な記事

韓国の人達がはっきりと物を言うのは、民族性じゃなくて政治的な事情ですよね。歴史的に、デモをおこなう事の大切さを痛感しているわけだから。
韓国の人と北朝鮮の人とでは、また違ってくるでしょうね。
そんな韓国人や中国人から見たら日本人は「遠回しな言葉が多い」ように感じるらしいですが、それはですね……単にあんまり会話が得意じゃないだけです(笑)。
あんまり人と話すのが好きじゃなくて、会話から逃げようとしてる…そういう人が多い印象ならあります。
一方で「日本の人は素直に、好きな物は好きって言うし…」みたいな感想を述べる韓国人もいました。人によります。

「ほら、あの、あれ…」が通じるのは身内だけ

(ちなみに、物忘れのひどくなったアメリカ人は、こういう時 "the thing" を使うそうです)
「多民族社会だからローコンテキスト、島国根性だからハイコンテキスト」という論調には一理あるとは思います。日本列島をひとつのコミュニティとして見てみれば、おそらく日本人だけで通じる物事というのも有るでしょう。しかし、国や民族以外の例を挙げた方が誤解が無いはずです。
家族どうしであれば、お互いに毎日どんな生活をしているか知り尽くしているので「アレ取って来てくれる?」でも意味が伝わります。もちろん新しく来たヘルパーさんには、この「アレ」の意味なんて分かるはずありません。
事件に遭遇した人どうしでは「昨日のアレさぁ」で通じ合えますが、まだ事件を知らない第三者は「え?アレって?昨日何かあったの?」です。
こういった場合は具体的に教えてあげないといけません。
「アレ」だけで会話が通じるのは、あらかじめ限定されたグループどうしだけで、異なるグループどうしの会話で「アレ」の意味は通じません。なので、日本人は「あれあれ」だけで意思疎通できるだなんて、とんでもない的外れな言説です。
会社の新入社員とおしゃべりする時も、初めのうちはローコンテキストで、会社の事を覚えていくにしたがい「14時になるよ」「あ、そうだね」みたいにハイコンテキストな会話になっていくわけです。
社内でしか通じない謎の用語(省略表現)って有るじゃないですか。そういう小さな共同体でのおしゃべりを思い出してみれば「ハイコンテキスト」の意味が分かって来ますよね。

(余談)

タイ人がネットに上げてるタイ語の漫画を趣味で日本語訳してた事があり、そうするとだんだん「外国はこうだけど日本はこうだ」なんて言えなくなってくるんですよね。
くだんの文献によればタイは比較的「高文脈」だそうだが、まあ、実証的根拠のない文献の事はもう忘れてしまおうか😓
その時の経験について話すと、けっこう文脈の読み取りに苦労しまくりました。特にテレビ番組のパロディは勘弁してほしい、わからんから(笑)
私自身があんまり慣用表現を覚えてない事も原因のひとつですが、もうひとつの原因は「小説ではなく漫画だから」という事があります。
私の作業の仕方として、まずは画像ファイルの中に含まれるタイ語の文章をテキストファイルの中に書き並べます。ググる時に便利なので。
文字起こししたTextOnlyのファイルを見ながら、単語それぞれを日本語に置き換えていけばなんとかなるだろう…という私の考えが甘くて、
単語自体の意味は分かるんだけど、文章としての意味がなんだか分からない。すなわち翻訳できない。もしかして新手の俗語か流行語か?
それで改めて元々の画像ファイルを見返してみると「ああ、そうか。これはこういう場面だったわけか。納得。」
描かれているイラストをちゃんと見て初めて文脈を読み取ることができた…という事が少なくなかったし、伏線の多い物語なんかだと人物相関図を手作りするハメになります。
この事からタイ人が漫画を描く時、絵を見て分かる情報については文章化しないし、既に共有されている情報についてはお察しなんだという事がよく分かます。
もちろんネタバレの恐れのある情報がセリフに現れるはずがありません。

省略表現を理解しよう

「行間を読まされる日本語は外国人には分かるまい」ってそれは「仲間内にしか通じない隠語」と履き違えてるんじゃないですかね?
時代が時代だから、もうそんな事を言う人は減るはずですけど。
そういう意地悪ではない正しい省略の仕方とは、文章を適切な長さに保つ目的で用いることです。
例えば、新聞記事でもよく見かける「以下◯◯と呼ぶ」ってヤツですね。
それを究極的に繰り返した省略表現が「数式」であり、たとえばアインシュタインの特殊相対性理論「E=mc2」たったの5文字。
同じ研究をしている人たちの間では、こうやって手間を省いた方が効率よく話し合いが進みます。
文章を省略する主な目的は、あまり長ったらしくない簡潔な文にまとめるため。
発言をぼかす事がそもそもの目的というわけではありません。
省略表現の1つ目のパターンは、慣用表現となっていて解釈が決まりきっている物(「〜なんて。」「〜すれば?」「どうも」など)。
2つ目のパターンは、言わなくても常識的に分かる物(「〜れば。」「〜ので。」など)。
そして3つ目のパターンは、いわば黙秘権です。
言いたくないからぼかした曖昧な言い回しに逃げる物ですが、さすがにこれは個人の性格の問題なので、言語の問題としては語れません。

行間を読まされるという意味では中国語など相当エグかった思い出がある、うん。
「可不是」が肯定文になるとか、二日が二日じゃないとか。
彼らの場合、特に「反語」とか大好きだから、くれぐれも文字どおりに受け取ってバカを見ないようにな(苦笑)。

主語を省くのは悪いことか?

欧米の言語では人称語尾・人称代名詞を巧みに扱います。
東アジアの言語はあんまり主語を付けないらしいですが、その代わりとして語尾表現(文末表現、語気助詞とも)を活用している、といった側面があります。

会話の中で語尾表現を使うことは、発言に主体性を持たせる意味でも大変重要です。
「よ」をつければ「私の考えをあなたに伝える」つもりなのだと分かりますし、「んだ」をつければその人の置かれた状況説明だと分かります。
主語をよく省く日本人は主体性が弱いなどと随分な言われようをしてきましたが、それについては多くの言語学者が批判をしています。
モンゴル語の学習サイトで「最低限述語さえ有れば文章として成り立つんだ」っていう説明の仕方が印象的で、日本語もそうなんですよ。Vだけ有ればよくてSとかOとかはオマケ。
しかしさすがに主語や語尾が無さ過ぎても、話し手の意図が伝わりにくくあやふやな発言になりがちなので気をつけたい所です。
(もちろん、主語や語尾が必要ない場面もあるので、それについては適宜、他のページで語りましょう)

ただし日本語みたいな語尾で表現できるのは「行動の主体」ではなく、あくまで「発言の主体」です。
「誰がやった!」を聞きたい時のために、日本語にも一応「自分」を意味する名詞は用意されています。
しかし、どちらの主体性を重んじるべきか……という話はできません。
そんなものは一概に決め付けられない、状況次第な物ですから。

ついでの話をすると、スペイン語は面白い。
スペイン語は「物」を主語に立てる事が比較的多く、忘れ物をした時も「私が物を忘れた」のではなく「物が私を忘れた」みたいな言い回しをします。
三人称を使われると文脈による判断がけっこう必要なので、西側の言語だってそう簡単に割り切れるものではありません。
Se me ha olvidado el paraguas. (傘が勝手に私を忘れた。)

【参考】
日本語は本当に曖昧で回りくどいのか
ネタ画像のテキスト版 Anglo-EU Translation Guide

私の知る範囲で外国語の例もいくつか挙げましたが、正直に言って、日本人がそんなに曖昧で回りくどくて天邪鬼みたいな会話をしてるイメージはありません。
日常生活や仕事上でそんな謎掛けみたいな事ばっかりしてたら正しくcommunicationできないし、よっぽどネガティブな感情でもない限りは婉曲表現なんか使いません。
日本語を勉強中の外国人の皆さんも、これから日本で暮らす事になったとしても、あくまで「思った事を素直に口に出す」のがcommunicationの基本ですからね。

ここから下はおまけの記事です。
曖昧に説明されがちな言葉に対して、もっとハッキリとした解釈を与えていきます。

「萌え」の意味

ずばり「人間を動物の一種として捉えたときの可愛さ」である!!
例えば、図書館で偉そうにメガネ掛けて専門書を読んでいても、所詮は犬猫と同じような生命体にすぎない事について言います。

「開いた牡蠣のような目をしたアニメの女の子」というのは、あまりよく分かってない人による狭い定義であり、実際にはそのような縛りはありません。
広い意味では、なんでもかんでも魅力にしてしまう事です。
お偉いさん方の提唱する「多様性」やら「ダイバーシティ」のより実践的な表現で、旧来の「女子たるもの」「男子たるもの」という観念に囚われているうちはそのニュアンスを理解できないでしょう。

余談だが、「萌え」と似たような意味の英単語はないかなぁと、お遊びで辞書を引きながら「winsome」という単語に行き着いたことがあります。
ただし「例の日本のアレ」という含みを持たせて「moe」と言ってもけっこう通じてしまうし、狭義の美術のカテゴリーを言うなら「moe」で良いです。

ついでに世界中に広まったとされる日本語の「kawaii」についてはかなり商業的な物であるし、美術のカテゴリーを示す用語だと捉えた方が現実的です。
あくまでも個々人のアーティストの集合体なので、それを日本文化と結びつけるのはなかなか難しい気がします。全ての日本人がああいう感性で作品を作れるわけじゃないので。
ああいった芸術活動を行うにあたって、身近に同志がいる事は大変な励みになるから、ネットの無い時代は特定の地域だけで盛り上がる事がほとんどだったろうと思います。
しかしネット上で世界中がつながる今となっては(発祥の地としてのブランドはあるでしょうが)漫画やアニメも「日本」という地理的条件にこだわる必要性が薄れてきています。

よろしくの使い方の分類

「よろしく」という言葉を使う場面は多々あれど、その超基本的な意味は「今後の事に対する念押し」という意味ひとつだけだ。
よろしくの使い方はそんな無尽蔵にある訳じゃないので、次のパターンをおさえておけば良し。
マイペンライ。

日本語的3分類英語的7分類文例
今後の付き合いを願う挨拶挨拶の定型句琴音です。よろしく。
I'm Kotone. Nice to meet you.
今年もよろしく。
I wish you a happy new year.
この場にいない人へぽわんによろしく言ってね。
Say hello to Powan.
これから物事を始める……します。よろしくね。
Look forward to doing .....
報告や依頼を申し上げた後の挨拶手紙の定型句よろしくお願い致します。
Sincerely. / Best regards.
頼み事よろしくお願いします。
Thanks in advance.
Thank you for your consideration.
適切な対応を求める適切な対応を求めるそこんとこ、よろしく。
Take care of that.
適当に任せるじゃ、よろしく。
It's up to you.
翻訳する時、相手方の言語に用意されている定型句があれば、まずはそれに従いましょう。
この先どんな「よろしく」の挨拶に出くわしても、この3分類のどれかに必ずあてはまるでしょう。

「旦那とはよろしくやってるか?」「ここはひとつよろしくお願いしますよ」というヘンテコな表現も、辞書を引くと出てきます。
これは「よろしい(proper)」という原義通りに使っているのですが、普通「よろしく」と言うと挨拶言葉を連想してしまうので、ネイティブの頭の中にも一瞬クエスチョンマークが浮かびます。

「適当」と「一応」と「やっぱり」


ゴルフゲームとかでよくある「動くゲージをタイミングよく止める」のを思い浮かべてみましょう。
状況によっては中央ピッタリの位置で止めるのが望ましいでしょうが、普通は一定範囲に収まってさえいれば目的を達成できるので、それ以上こだわっても特に何のメリットもありません。
これが「適当」の基本的概念です。

「テキトーだなぁ」とか「まあいちおうね」とか、これは日本人がめちゃくちゃよく使う言葉であり、テレビのインタビューを聞いていると「やっぱり」という言葉が何度も出て来ます。
使用頻度が高くなるにつれて、あまり意味を考えずに使う人も一定数出て来る傾向があります。
そうは言っても言葉の理解を深めるためには、感情任せにせず理屈で考えることも大事です。


言葉の間にはさむ「やっぱり…」は、「いろいろ考えてみても、言える事はこれだけだな」のニュアンスがあります。

「普通に○○」は文字通りの意味にしかならない

「うん、普通においしい。」とか言ったりする時の「普通に」は文字通りの意味です。
つまり基本的には「normal, 正常である, 異常でない」に準じる意味合いだという事です。
今時の日本語会話でよく聞く「普通に〜」は、「積極的に反対するべき要素はない」というニュアンスが含まれています。
「普通にいい」といった場合は、詳細な評価はまだ分からないけど、GOODであってBADではないと解釈して良いのです。
これが皮肉の意味で BAD になるという事は通例ありえません。

なお、単に「普通。」という名詞ひとつだけの場合は normal というよりも ordinary、つまり平凡という意味で言っている可能性もあります。

「いいです」と「わるいわるい」

日本語の「いい」はYESかNOか分からず曖昧だとよく言われます。
そうなる原因は、日本語の「いい」には「Good」と「All right」の2つの意味があるからです。
相手の好意を断る時「All right」にあたる表現を使います。
この「オーライ!」の意味する所が「やって良し」だったり「もう十分」だったりするのは、まあ、どこの国だろうと同じようなもんです。
実は英語では「I'm good」で断ることがあり、ここは日本語と同じ問題をちょっと抱えています。

新聞の投書欄で留学生が「軽く謝る時に言う『わるい』が紛らわしい」と言ってたのを思い出しました。
なるほどね……だけど、本場の生きた言葉に触れようとしたら、それは避けて通れない道だと割り切ってほしいです。
逆に日本人が外国語を覚える時だって、やはり同じ目にあうわけですから…(たとえば中国語の「两天」が文字通り2日じゃなかったり)
えてして語学とはそーゆーもんですよ。
外国人向け防災情報でやさしい言葉を使うのは、それはそれで、もちろん良い心掛けですけど。

「ちょっと」の意味がほぼ否定に等しい件

「この仕組みをウチで導入するのは、ちょっと難しいなあ」
と言った時に、ちょっとどころではなく、ほぼ難しいと判断しているに等しい……というネタ。
相手の行動を一旦止める時に「ちょっと待って!」「ちょっと!」と言うが、簡単に言ってしまえばその辺りに由来する言い回しだとも考えられます。
したがってこの場合の「ちょっと難しい」は「いや、ちょっと待って。これは難しいだろう。」という解釈ができるのです。

日本語学習者から見て、「ちょっと」が文字通りに「少し」を意味する副詞なのか「待って」を意味する間投詞なのか、判断に迷うのは確かだろうなあと思います。

もうひとつ、日本の文化的な話から離れて常識的な事について考えたいです。
「ちょっと」というのはおよそ30%程度を表す言葉だが、そもそもの話、さすがに20%を上回ったら確率としては無視できないレベル。
本当に少ないのなら「あんまりない」という言い方をするし、半分でも「難しい」箇所があるのなら要するに「難しい」ということなのです。
「ちょっと難しい」が文字通りに「三度に一度は難しいかなあ」という意味で言っている場合ももちろんあります。
我々が自信なさげに「ちょっと」という言葉を使いたがるのは、正確な未来予測をできるような天才頭脳の持ち主じゃないからです。
ハッキリ「難しい」と断定しろと言われても、そういうのはしがない一般庶民にとっては酷なことであると理解してほしい。
程度を弱めて謙遜してみせる事それ自体は世界共通のマナーなので言えば分かる事でしょうが、「ちょっと待って」というフレーズは引き合いに出した方がいいかもしれなません。

「どうも」の意味は2つしかない

あいさつで「どうも!」と言うのは「Hello」か「Thanks」のどっちかの意味です。
それ以外の意味は無いと思うぞ!!

そもそも、「どうも」というのは挨拶言葉にくっつけて使う言葉。
英語では「Thanks a lot」とか言ったりするが、それが日本語だと「どうもありがとう」となるわけです。

「どうも」の文例

…で、さすがに謝る時に「どうも」で済ます事は無いと思います。
絶対に「ごめん」「すみません」とか言うはずです。

「面倒を見る」と「世話する」の違い

検索して調べてみてもイマイチ釈然としないシリーズ・その1。

文例

ググって検索上位に出るページでは、目上に対してはどうのこうの…という説明になっていましたが、それは全然関係ありません。
「酔っ払った社長の面倒を見る」「社長の身の回りのお世話」…両方とも実例があります。
ただし一般的に「面倒」はトラブル対応で、「世話」は正式な役目という感じなので、後者の方が無難なのは確かです。
「助けてあげる」という性質上、「面倒」にしろ「世話」にしろ相手を見下ろすニュアンスは多少ありえますが、必ずしも悪い意味になるわけでもありません。

「知る」と「分かる」の違い

検索して調べてみてもイマイチ釈然としないシリーズ・その2。
ものすごく簡単にまとめちゃいます。
※ ちなみに日本語では、動詞の原形を使うと未来の意味になりやすいという事情もあり、一部の動詞の現在形については「知っている」「分かっている」という言い方が習慣になっています。
否定文の現在形は「知らない」「分からない」のままでOKです。

文例

「わびさび」

まあ、元々の意味に忠実に考えれば「わびしい物」や「さびれた物」を愛でましょうという考え方…ですよね。
「これこそがワビサビだ!」「いや、ワビサビはこういうものだ!」と、人によって様々な主張が乱立しているので、明確に定義することはできなくなっています。
ただ、全体的な傾向としては「人間社会の基準だけで物事の美しさを測ってはいけない」って事じゃないかなぁと私は考えています。

実はアンサイクロペディアのわびさびのページがものすごく秀逸な記事だったりします。
現代人になじみのある例が挙がっていて理解しやすい。(ゲド戦記の例は私が書き足した)
ルネサンスだとかフォービズムみたいな芸術の一派として、ワビサビがあると捉えても良いでしょう。

「女子力」の意味

これはその性質から言って「定義不能」とせざるを得ません。
厳密な定義を書き並べ始めると、あの有名な俗説でいうところの「男脳」的発想にハマり込んでしまうためです。
この言葉が出始めた頃の女子力検定クイズに「高級ブランドバッグを持っているか」と有ったが「いや、そういう事じゃないだろう」とツッコまれるのがオチだから今後とも具体的な定義は無いままで良いと思います。

しかし大雑把には「男性が変な意地を張って敬遠している分野において、自分は怠らずに取り組むこと」と言うことができます。
そういった分野で努力を積んでいる男性もまた「女子力の高い男子」「女子力男子」などと呼ばれます。
なんだかんだ言っても、近現代の女性の生活習慣は見習うべき所にあふれているから、まあ悪いことではありません。

問題はこの言葉の力によって、ライフスタイルの改善が見込めるのは人類の半数程度に過ぎず、ダメ男はダメ男のまま置いて行かれてしまう事です。
今まで戦争のためだけに生かされてきた帰還兵ども、すなわち男子諸君の生活力を高めるような言葉こそが本当は求められます。
そもそも、○○力という言葉自体、「自分よりも劣る人間」を拠り所とするきらいがあり、なかなかお互いの能力を高め合おうという発想に至らないのが微妙なんですよね。

「琴音ちゃんのことが好き」の「こと」って何?

「〜のことが好き」というのは、ある意味、慣用表現になってしまっているのですが。
これは誰かさんが「曖昧な『こと』は訳さない」と説明してたことがあるので、これについても語りましょうか。
これは単に「琴音ちゃんが好き」というよりは「琴音ちゃんに関する様々な事柄、例えばあの小顔とか低い声とか、内に秘める信念とかに対して好意を抱いている」といった言い回しです。
要するに「物事」という意味での「こと」なんだから、曖昧もへったくれもないんだがな…。
もし「ぽわんちゃんのことが好き」を英語で言うなら「I have feelings for Powan」とかですかね。
for とか about とか使ってみると、それっぽい感じになりますね。
この表現とも似ているかもしれません。

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