「わよ」「わね」などの組み合わせ表現 / 日本語の語尾

ここでは2つの語尾を組み合わせた表現について考える。
後ろ側に付けることができるのは間投助詞として使える物、すなわち「よ」「ね」「な」「さ」の4つだ。
「終助詞+間投助詞」という条件を満たせば色々な語尾表現を作ることが、少なくとも文法上では可能らしい。

いろいろな組み合わせ表現

現代語としては「〜よね」「〜よな」以外の組み合わせは存在しない。
したがって、ここで紹介している語尾はおふざけ以外では使うことができない。
ただしこの中の一部には方言として存在する言い回しもある。
標準語には「捏造された言語」疑惑もあるため、それを正しい言葉として鵜呑みにするのは危険なところがある。
日本語の本来の姿を明らかにする上で、各地の方言との比較検証は大きな助けになる。

以下の文例ではそれぞれ、語尾をつけずに同じニュアンスを出して見た文章も添えておく。
もしこういうのを見かけたら、2つの意味を組み合わせたらどんな意味になるんだろう、と想像してみると良い。
ただし漫画などでは単なるキャラ語尾、つまり何の意味も考えずに使ってる場合が多いが……だいたい左側の語尾を消せば正しい言い回しになる。

「〜わな」という語尾から考える

皆さんは「わな」という語尾を聞いたことがあるだろうか。私の周りではよく耳にするが(笑)。
女性語のイメージに汚染されていない「〜わなぁ」から考えると、「わよ」「わね」の本来的な意味もよく見えてくるはず。
語尾の「わ」は基本的に「私はそう思う、私がやる、私が見つけた」のような一人称単数の意味合いがあり、「わな」と言った時にもその意味が入る。
そこで、この「な」の部分を「ね」に置き換えてみると、どうなるかなぁっていう話だ。
地元のじいさまばあさまが「〜わね」と言うのを聞いた時のそれは、まさしく「〜わな」とそっくりな使い方だった。

「わよ」「わね」の使用例はあるのか

ある日、犬の散歩に出掛けていると、車に乗ったおばあさんが孫に向かって「行くわよ!」と叫んでいた。
「化石だ。生きた化石がいる。」
ネタじゃなく本当にこういう言葉を使う人がいることは確認したものの、現代語としては廃れていくだろう語尾表現である。
理由……「わ」をつける意味が無いから。
「わ」というのは「私の気持ち」であることを意味する語尾。
しかし「私の気持ち」というニュアンスは「よ」の中にも含まれている。
「ね」は「皆の気持ち」を表すがその中には「私」も含まれている。
だから、そこに「わ」をつけるのは冗長だから、要らないという話になる。

とはいえ注意深く観察をしてみると、やはり余計な物をくっつけた以上はニュアンスの変化があるようだ。
私は語尾の「わ」に対して「自分の放った言葉がブーメランのように返ってくる」イメージを持っていて、「自分は自分は」を強めた言い方に聞こえる。
これによって他者への働きかけである語尾「よ」「ね」の意味がストレートに表れず、「わよ」「わね」でしゃべると自分語りに徹しているように聞こえる。
先程のおばあさんの「行くわよ!」も「私は行かせてもらうけど、置いていかれても知らないからね」のニュアンスだった可能性がある。

子どもが受験合格して「良かったね」と言わずに「良かったわね」と言ったらどうなるか。
「私にとっては良かった」のは確かなのだが、失敗すると「自分」を強調しすぎ「私には好都合な展開になった」「良かったと思える私すごいアピール」のような引っかかる物言いになってしまうリスクは存在する。
もっとも、ストレートに「良かったね」と言えば皮肉めいて聞こえないのかと言うと…そんな事も無いのだが。
でも常用平易な言葉遣いを選んだ方がはるかに安全だよね。
そのほか、「忘れないように。いいね?」のような「I think」を挿入する必要のない念押しで「いいわね?」と言ってしまうのは誤用にあたる。

「わね」に関しては、じいさんばあさんの会話からけっこう拾って来る事はできて「私としてはそう思うがね」ぐらいのニュアンスがある。
一方、「わよ」のリアルな会話文例を見つけてくるのはなかなか難しい。
「〜よ」を使う時もあれば「〜わよ」を使う時もある、みたいな報告例がボチボチ有る。
私自身、月に1回ぐらいの頻度で料理教室へ遊びに行ってて、その時に「わよ」でしゃべるおばあちゃんとお会いした。
無論いつでも「わよ」を使う訳ではなかったし、状況的に「ギャグで言ってみただけ」の可能性が大きく、調査資料としてのサンプリングは見送った。

結論


この動画の 3:10 で、たまたまニュースで「おいしいわよね」って言ってる看護師を見つけた。ただ、これに関しても、一種のユーモア・おどけた表現として使ってみただけの物だと思う。
いずれにせよ終助詞「〜よ」の代替品として「〜わよ」を使えるかというと、それは厳しいかな…と。

現実の日本人を相手に「わよ」「わね」の会話サンプルも集めてはいるのだが、正直に言って、ろくに集まっていない。
仮に有ったとしても、終助詞の「わ」と間投助詞の「ね」に分解して捉えるべき事例がほとんど。
使われる場面も、笑って済ませる世間話・皮肉・風刺とか、だいたいそんな場面で使われるのみ。
そもそも間投助詞を用いた表現は流行り廃りが激しいこともあり、若者会話の中では全く見つけることができない。
従って本サイトでは「現代語」としては扱わないことにしている。
日本語には「古い言葉はジョークでしか使わない」という暗黙のルールもあるので、真面目な話をしている時に使うのは不適切だと私は考える。
ここ数十年の間、語尾表現がおもちゃ同然の扱いを受けてきたのは、日本語にとっては不遇の時代であろう。
とにかく不正改造された日本語に手を出すのは危険。余計なパーツは付けないに限る。

間違いなく言える事は「行くわよ。」としゃべる人は「行くよ。」という言葉を使わない、必ず「だぬき」にする…などという事実は存在しない事だ。
また、終助詞「よ」「ね」「わ」については別のページでも詳しく語っているので、そちらもよろしくね。



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