終助詞「わ」の使い方 / 日本語の語尾

「〜わ」を使ってみるわ!




これは「私は思う!私がやる!」と自己判断を表す言い方である。
ただし、「私の気持ちを語る」だけの場合は何の語尾もつけないのが普通だ。
「〜わ。」を使うのは「私としては」「As for me」「I myself」みたいに、とりわけ自分はこうであると強調したい場合だ。

ネイティブの使う「わ」は下がり口調、オネエの使う「わ」は上がり口調として区別されるようだが、
実はどちらも「私は!私が!」の意味であり、たいして違いは無い。
もっと言うと大阪弁の「わ」も全く同じ意味。

「わ」の文例

ネット上の書き込みでもテレビの男性タレントでも、語尾「わ」の使用頻度は比較的高い部類に入るので、女性専用の終助詞であるかのような説明にこだわっていてはいけないと考えている。
これを使ったからといって、直ちにオネエになったりヤンキーになったりする物ではないので、もっと本来的な意味を探っていこう。

「わ」とその他の終助詞を比べてみる

自分の考えを述べるという点で上2つの文例はどちらも同じなので、何の終助詞も付けない場合と「わ」をつける場合とで、それほど大きな違いは無い。
では、他のいろいろな終助詞を付けた場合と比べてみると、どうだろうか。

「な」と「わ」の違い

「〜な」と「〜わ」はどちらも独り言で使える表現だが、違いは次のとおりである。
厳密にはニュアンスの違いがあるが、どちらも個人的な気持ちを表している点では同じなので、似ているといえば似ている。

あまり自己主張を強めたくない時は終助詞「な」の方がいいだろうし、あまり主体性の無いように思われたくない時は終助詞「わ」が効き目あるかもしれない。
ただ、具体的にどのようなムードが生まれるかは、純粋にその場の雰囲気次第だと言うべきで、教科書でこうだと言い切れる物ではない事に注意が必要だ。

「ぞ」と「わ」の違い

お互いに主観・客観の違いがあり、注意のニュアンスの有無という点でも異なる。
したがって終助詞の「ぞ」と「わ」を入れ替えるとかなり受ける印象に変化が現れ、同じような物であるとは言いにくい。

「よ」と「わ」の違い

ネイティブ会話の中で、この2つの終助詞は厳然と使い分けられていて、例えば「あー、汗かくわ。外、暑いよ!」のように一人が一度に両方の語尾を使う。
「わ」の方が個人的な事であり、「よ」の方が相手に対する忠告になっている。
イラストで説明すると「よ」は相手に向かってビームを発射するイメージ。
「わ」は自分の発射したビームがクルッと回って自分に返ってくるイメージか。
基本的に「わ」という終助詞は注意・忠告・勧誘の意味を持たない。


「〜よ」は「私の考えをあなたに教えてあげる」ということ。
「〜わ」は「私自身としてはこう考える」ということ。
両者の違いは「あなたに教える、あなたに注意する」という意味を含むか含まないかだ。
会話表現においてこの2つの終助詞には天と地ほどの違いがあるので、創作の中であっても「よ」と「わ」を入れ替えて遊ぶ行為は強い違和感を与える原因になる。
そのせいで意味の通じない文章にしてしまってはあまりに読み手に対して不親切なので、やめた方がいいよ本当に。

終助詞「わ」のダメな使い方

この場合はネイティブ感覚に倣って「いいよ。」と答えるのが正解。
もしも終助詞の「よ」を使わなければ「あなたに対する返答」という情報が抜け落ちてしまう。
「自分に対して答えてくれたのかどうか」が曖昧になり、子どもの頭の中では一瞬のためらいが生まれるだろう。

終助詞「わ」の使い方のSafetyLine

この場合はどうしてギリギリセーフなのかというと、実はこの会話がおこなわれる前に、母親と息子とで一緒に出かける約束が立てられていたのである。
従って母親が「私は出発する」と言ったら息子は予定通りに「一緒に行かねば」という判断になる。
もしもこのような文脈が無く「出発するわ」と言ったら「あっそう、お好きにどうぞ」になってしまう。

終助詞「わ」の気分的な使い方

「私がしっかり選んであげるから任せたまえ」の意味になるか「あんたは自分の好きな物を選べばいいけど個人的にはこれがいい」の意味になるか、その場の状況次第。
その辺りを曖昧にしないで「あなたへのオススメを選んであげよう」という意味を明白にするなら終助詞「よ」を使った方がいいだろう。

終助詞の「わ」を使うことによって口調が和らぐのか強まるのかは、文脈次第だ。
「わたし」を強調することによって、ある時は「この話は任せなさ〜い」の意味になるし、またある時は「おめぇには関係ない」の意味になる。

ちなみにの話、
「ぶん殴ったらあ!」は「ぶん殴ってやるわ!」が短くなった言葉だね(笑)。

気をつけて使い分けてくれ


終助詞「わ」もネイティブ会話の一要素ではあるが、それでも終助詞「よ」「ね」の重要さには及ばない物である。
タメ語で相手に何か教えてあげる時は原則的に「よ」を使う。そうじゃないと自分に対して答えてくれたのかどうか分かりにくいからだ。
「わ」で質問に答えるとビラ配りを断ってるみたいな言い方になるが、そこをよく分からないで残念な台詞を書いてる人は本当に多い。

翻訳する時なんかも、親子会話だったらなるべく「〜よ」を使った方が良い。
娘はパパに伝えたいことがある、ママは子どもに伝えたいことがある、そういった意思疎通を明確に表すのが「〜よ」という語尾の役割だ。

語尾の「わ」に関して、これ以上説明することはない。
ひとつの終助詞はそんなに万能ではないので、「わ」という語尾ひとつだけであらゆる気持ちを表現できると思ってる人もまた残念だ。
例えばうらやましさを表すなら「あれ可愛いなあ。欲しいなあ。」など他の色々な語尾を使いこなせるようにしよう。


<注意>
ネイティブ会話としての終助詞「わ」の説明は、以上で終わり!!
ここから下は、市場に出回るクソ翻訳などについての言及なので、ご注意ください。


「女ことば」を教材で扱うべきか?

「創作物の中では使われているから、それについても解説するべきだ」という声も聞こえてくるんだけど、そうやってステレオタイプを再生産してしまうのはどうなのかなぁと思い、依然として私は反対の立場にいる。
なんか変な口癖のキャラが多いなぁぐらいの認識で十分であり、それをあたかも日本語のルールであるかのように教え込むのは危険すぎる。
たとえば連続ドラマ小説「おしん」の主役とその母親がどんな言葉遣いだったか、今一度見直してみると良いんだけど、あれを見る限り「昔は言葉の男女差が大きかった」はやっぱり胡散臭いよなあと思わざるを得ない。
架空の人物はもっと優先度を下げて、年齢性別関係なく生身の一般庶民の言葉を平均するとズバリどんな意味合いがあるのか…という所が大事なんだけどね。
今のまんまだと「妙な誤解が生じるようならもうこの言葉は使えないよね…」なんて言って、学習者だけでなく母語話者までも混乱させることになるしね…。

女性らしい言葉とは何か?

単刀直入に言って、そんな言葉は無い。
第一に、具体的になりたい女性像についての相談もなしに、そんなもん教えられるわけがない。
淑女を目指したいあなたは場面にふさわしい言葉選びを重視するべきで、そのためには敬語表現を身につけたり語彙力を高めることが最重要。
同じ語尾の連続する役割語は、日本語として美しくない。
格調高い女であれば、たとえ偉そうに聞こえる言葉であっても文語体の使用をためらわないこと。
「だ抜き」などけしからん。
他人思いな女性を演じるなら、終助詞「よ」を積極的に使うことを勧める。
ウチのサイトには女の人から手に入れた会話文もたくさんあるので、一通り読んでくれれば結果的には本場の女性らしい会話を覚えられるだろうと思う(ていうかそもそも女性限定の言葉遣いじゃないけど)。

オネエ言葉としての語尾「わ」

この言葉を使えば女性らしくなるという誤った認識を広げないために「オネエ」という言葉を当てさせていただくけど、それも不適切な用語であれば「しずかちゃん言葉」かな…。
オネエだろうが何だろうが結局のところ、自分の気持ちはこうなんだという事を語って聞かせる語尾表現にすぎない。
要するに、I feel とか Makes me みたいな感じに「主語のI」「目的語のme」を使ってしゃべっているのと同じ事。
ベトナム語のチルダ記号と同じような声調で発音されるわ(←不思議だなあという感情を込めている)。

オネエ会話文例

別にオネエキャラでなくても、終助詞「わ」の本義を理解して使う限りは、実生活で使っても違和感ないと私は思っている。
この言い回しがfeminineだと言われるのは、テレビの役者の声色による「刷り込み」なので、特にこれを女性的だとする言語学上の根拠は乏しい。
(あえて言うなら、ごく限られた地域で一時的に流行した位相語・集団語だよね。いずれにしろストレートに話者の性別を示す記号とみなすのは、語学としては拙い。)
ともあれリアルの会話ではそんなにたくさん使われていないが、それはおそらく会話のテンポが遅くなってしまうからだろう。
「わぁ〜」なんて無駄に長引かせるよりも、さっさと会話のキャッチボールを渡し合う方が良い。
例)「これ、私の名だわ!」
→「これ、私の名前!」
例)「ええ、一緒に行くわ。」「じゃあ行きましょうか。」
→「うん、一緒に行く!」「じゃ、行こっか。」

おかしな「わ」の使い方

乱暴なセリフを書く人ほど、なんでもかんでも「〜わ。」という語尾で片付ける傾向が強い。
こーゆー人は「わ」を「よ」と同じ意味で使っているが、当初の「女言葉」発案者たちが見たら全然マネできてないと思うだろうね。

上手な言葉下手な言葉
届いたんだ。届いたわ。
できるよ。できるわ。
よかったね。よかったわ。
いいなあ。いいわ。
絶対勝つぞ。絶対勝つわ。
行くぜ東北行くわ東北
明日は休みか。明日は休みだわ。
元栓は閉めたし…元栓は閉めたわ…
手が離せなくて…手が離せないわ…
あるじゃん。あるわ。
やってあったっけ。やってあったわ。
大丈夫だって。大丈夫だわ。
間違えたかも。間違えたわ。
まだ熱いからね。まだ熱いわ。
特にないけど。特にないわ。
お願いします。お願いするわ。
表現が乏しいにも程があるってもんだな…。
無意識に「てよだわ言葉」が出ちゃう人のほうがまだマシなくらいで、
終助詞を単なる性別の記号としてしか使ってない文章というのは、言葉の持つニュアンスをガン無視しているわけだから、情緒も乏しいし相当に見苦しい。

とっても恥ずかしい例文の数々

下側に行くほど残念な文章になっていくよう並べてみた。
「これがネイティブの作文かよ」と苦笑いしながら添削するハメになる。

まとめ

「あらー、可愛いわ〜」ぐらいなら一応は「わ」の用法と合致するからセーフだし、むしろ方言では「〜わ」を使って気持ちを表す事が多い。
再三言うけど「〜よ」との違いは意識してほしい。
本当に意思疎通のトラブルになる例を挙げると、ママが子どもへ注意するのに「滑るわ!」と言った場合。
これだと子どもは「自分が注意されている」と分からず、逆にママが滑るんだと思って心配するだろう。
結局子どもはスッテンコロリンと滑ってしまう。 You と I を間違えるくらいの致命的過失。
「よ」という便利な終助詞がありながら、それをあえて使わない理由などあるだろうか。

私は日本語のキャラ語尾とか役割語とかを「不正改造車」になぞらえて考えているが、
ある条件下においては「語尾は性別を表す」という変なダブルスタンダードは、日本語をいたずらに複雑化させ、いずれは何か良くない事が起きてくるだろう。

では最後に、先程の文例の何が間違っているのか、答え合わせをしよう。
「それで今忙しい」は状況説明、「9時前には戻って来る」は意思表示、特に「そう、それで…」と結論にまとめる部分では「の」とか「ん」が欲しい。
したがって「そう、それで今忙しいの。けど9時前には戻って来るわ。」と言うのなら正しい。
文末表現を「かわいい」「女の子っぽい」程度にしか考えない人は、もうね、この使い分け方を見失ってるんだよ。
だから、ジェンダー問題以前に「言語の消滅危機」に近い物を恐れてこういう話をしている。

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