キャラ語尾とはこういう物だ

2020年5月のネット記事
オネエことばへの翻訳は是か非か?――『クィア・アイ』で考察するゲイと“女ことば翻訳”の問題

本サイト「どこよりも曖昧でない日本語教室」で、さんざん偉そうな言いぶりをして来て大変申し訳ないとは感じています。
が、それだけ危機感を覚えているということも察して頂ければ幸いです。

どちらかというと、今の私は「役割語」に対して否定的立場であります。
本当はこういう表現内容に目くじらを立てたくなかったのですが、国どうしの交流が活発になるにつれて「作り話だからどうでもいいじゃん」では済まない領域にまで影響が及んできています。
日本語の教科書を開くと「女性は使"え"ない」「男性は使"え"ない」なんて書いてあったり(ていうか、なんで禁止事項に変わってんの??)、現実にそういう授業を受けた人たちから言葉の自由を奪ってしまう。
刑事ドラマの脚本を書くための教材ならたくさんあるけど、実生活でまっとうな意思疎通をするための教材が乏しい、こういう状況はやっぱり見過ごせないわけです。
それに「どうだ、こんなの他の言語には無いだろー」と、よその国を見下したプロパガンダ臭い所があるので……あまり褒められたことじゃないなぁと思ってます。
が、キャラ語尾を愛する人たちとは折り合いをつけようと思い、役割語を使う上でのマナーというのをちょっと考えてみました。

役割語のマナー

母国語の文法を正しく学習し直す

役割語というのは、本来の文法規則を破壊することで生み出した独自の口調です。
今まで文法の基礎を軽んじてきたからこそ、こうして「お遊びの言葉遣い」との切り分けが難しくなってしまっているわけです。
例えば「long time no see」という英語は文法的にクソだし、「地味だけど素敵よ」という変な「だ抜き」も日本語の文法をナメてるなぁと思いませんか。
残念ながら、よそ様はみんなキャラ語尾思想に毒されているため、今はとりあえず本サイトのコンテンツで我慢して頂きたく思います。

人物を区別するという事にこだわらない

作家や翻訳者がよく使う言い訳として「人物を区別することができる」がありますが、そうは言っても今の日本語の役割語には「人称代名詞」と「語尾表現」の2つだけしか手段が無いんですよね。
これだと、主語が無かったり終止形が無かったりしたら人物を見分ける手掛かりが無いことになります。
真面目に人物を明示するなら、セリフごとに名前を添えたり♂とか♀とかいう記号を添えるのが最も合理的です。
単に「人物の区別」という機能だけを求めているのなら、正直あんまりメリットが無いと思いますね…。

外国語での役割語についてもよく学ぶ

「外国語にはキャラの口調分けが一切存在しない、日本語なら自由に口調分けができる」という妄想、それが乱暴な翻訳をおこなう原因を作っています。
多様な役割語を生み出す土壌は「時代や地域によって変わる言葉」、それは世界中に普遍的なものです。
原文にまったく口調分けが無いのなら、そこには自然な言葉遣いで書きたいという著者の思いがあるのです。
原作者よりも高い表現力を自分が持っているかのような傲慢さを抱いてないかどうか振り返ってみましょう。

役割語はあくまでも著作物と考える

基本的に、キャラ語尾の作り方には「古語を持ち出して来る」「方言を持ち出してくる」「わざと文法違反を起こす」の3通りの方法があります。
これは日本語も外国語も同じであって、主語やら語尾やらは単なる一手段に過ぎません。
そこから個々人の作者が編み出した「著作物」だと考えるべきで、文法レイヤーで議論するのに「老人語」「男性語」みたいなワードを持ち込んできてはいけないと考えています。
(日本語の場合は、使用可能な言葉に制限を掛けるという手法が目立つ)

ノンフィクションでは絶対に使わない

役割語はあくまでもお遊びなので、真面目なドキュメンタリーや報道では絶対に使わないこと。
TPOやらビジネスマナーやらに反する!!
女言葉はお上品だと思い込んで使う人が多いようですが、本サイトを一通り読んでお気づきの通り、文法・用法ともに誤った使い方です。
そうと知らずに使い続けられるのは極めて遺憾に思います。
(ここで言う「誤った使い方」とは、現実の日本人の話し方との乖離を指します)

すりこまれた固定観念に気づく

「男性は『〜の』を使わない」「女性は命令形を使わない」「母親は『わよ』と言う」など現実にありえないモデル。
こういった架空の人物モデルが頭の中に残っているなら消しておきましょう。
これに気づかないと「ノンフィクションでは使うな」と言われても、つい犯してしまいがちです。

できれば自分なりのキャラ付けを心がけよう

近年、黒い顔に大きなタラコ唇というデザインが黒人差別として叩かれることが多く、
また、アメリカの映画で皮膚異常の悪役が多いのには、患者への偏見を広げるという批判を受けています。
このように、よく見かけるからといって安直に真似して手を出すのは危険です。
言葉遣いもそうですが、漫画で外国人のキャラを考える時なんかも、今後は気をつけてもらった方が良いと思われます。

まずは英語のキャラ語尾を見よう

「ざます」「ざんす」「ござる」って、よく考えれば「ございます」と同じ言葉だというのは分かるかな?
それに気づいてしまえば、ものすごく特殊な言葉ってほどでもありませんよね。
英語におけるキャラクターの口調分けを紹介してみますが、状況はとってもよく似てます。
まずはイギリスの小説「The little broomstick」の中から、いくつか紹介しましょー。



次はイギリスの任天堂で作られた「Donkey Kong Country 2」から。


そして次は、アメリカではあまり評判の良くない「STAR WARS episode 1」から惑星ナブー原住民の台詞。


次は「ハリーポッター」のハグリッドの台詞。

さて、いかがでしょう、ここから標準的な英単語に復元できますかね…?
ところどころ、我々が教科書で習う英語の文法から外れていて「なんじゃこりゃ」ですよね。これこそが英語のキャラ付けです。
これ自体は日本特有のおかしな文化ってわけじゃないので、そういう意味でも役割語を完全に廃止しろとは言いません。
ただ翻訳で最も気をつけるべきは「原作者に対して謙虚であること」だと思っています。
人物の性格・感情・その場の雰囲気などといった繊細な描写はすべて原文の中に設計されているので、翻訳者はただそれに忠実に従いさえすれば良い。
自分ならもっと豊かな表現を紡ぎ出せる…なんていう考えを持つのは大変おこがましい事です。

もちろん日本語の作品にも豊かなキャラ付けがあるのは確かだけれど、今の風潮はハッキリ言って「ウサギとカメ」のウサギです。
下手くそに「役割語」なんていう概念を持ち出したために、かえって表現の画一化を招いているのが現状。
その一方で「方言コスプレ」には新しい流れを期待できるかもしれないと思っています。
キャラによって言葉遣いを変えるのは自由で良いと思うから、男はこうで女はこうだとルール化するのは、どっちにしろおかしい。
あくまでも著作表現であって、日本語自体にこういう規則があるみたいな捉え方はしない方が良いです。

役割語について詳しくは金水敏さんの研究で十分だと思うので、本サイトではこれ以上は扱わないよ。
ウチとしては「自分でオリジナルの口癖を考案したらどう?」という立場なので。

安直な「役割語」「キャラ語尾」は危険

それっぽいだけの下手な大阪弁は、大阪の人からするとあんまり気分の良い物ではないらしい。
漫画とかで大阪弁キャラを描きたいんだったら、文法レベルできちんと大阪弁を学習することを、私としてはお勧めする。

エセ関西弁特集★関西人をイラッとさせるセリフ10選

本家は消失しているがインターネットアーカイブに残っているので、以下のサイトに目を通すと大阪弁の語尾の仕組みもよく分かる。
ただ、やっぱり言葉の流行り廃りはあるから、最新の大阪弁を学ぶ手段は確保しておきたいなぁ。

Internet Archive 全国大阪弁普及協会

そういえばスターウォーズの「ジャージャービンクス」が、言葉遣いも含めて黒人蔑視だといって叩かれていたのを思い出す。
その辺の事情はアメリカ本土の人じゃないと分かりづらいけど……。

女言葉の鑑定結果……100円

「女言葉」誕生については中村桃子による説が支持されているようだが、それはググるなりして調べてほしい。
日本語の語尾とは本来、場面に応じて使い分ける物であり、それをキャラの区別に用いるのは「目的外使用」である。
雑貨を手にとってみるとだいたい「本来の用途以外に使用しないでください」と注意書きがあるよね。
そう、だから終助詞の目的外使用である「役割語」も危ない使い方なんだよ。
大げさな話「"よ"と"わ"」および「"しろ"と"して"」を性別の区別に使うのは、具体的に Communication Error による事故につながりかねない。

女言葉(てよだわ言葉、オネエ言葉)というのは「なんちゃって大阪弁」「ジャージャービンクス」と同類で、「適当にこうしゃべっとけば女っぽいだろう」と、一部の特徴だけを抜き出して単純化した言葉遣いである。
捏造されたエセ日本語だとはいえ、当初の女言葉には「〜ですこと。」「良くって?」などそこそこバリエーションはあったが、それも今ではかなり劣化している。
東京の一部地域では「てよだわ言葉」とそっくりな言葉が実在する、という噂も聞こえてくるが、それでもドラマのあの口調とは一致しないはずだと見ている。
だいたい「だ抜き言葉」なんて、よく考えてみればカタコトの日本語の喋り方ではないか?
なので私としてはあんまり「てよだわ言葉」は美しい言葉だと思えず、できれば使って欲しくない。

ジェンダー問題だけでは済まなくなる

マツコデラックスとか、どこぞのお嬢様とか、そういう一部の変わり者がオネエ言葉を使ってるだけなら問題は無かったんだよ。
そこを逸脱して、真面目なドキュメンタリーや報道記事で「てよだわ言葉」をやっちまうと完全に場違い、アウト。
世界で現実に起きている戦争・災害・事件・貧困……彼らの言葉を女言葉・男言葉で表現するという事は「娯楽アクション映画」のような物におとしめる行為。
日本語なのに気持ちが伝わって来ない。こういうことが日本人の海外に対する無関心を助長していると言っても、あながち間違っていないのでは。
当面はおとなしく「だである体」「ですます体」に翻訳しといてもらいたい。

前に読んだ『麻原おっさん地獄』では松本一家の娘たちがオネエ言葉で会話をしていたが、ありえない。
ただそれだけのために嘘くさい作り話に見えてしまい、信用の置けない書物になってしまった。
そう、伝聞表現でオネエ言葉に変換する癖のある方も多かったりするのだが、そこは治そう。信憑性を損なってしまうから。

タイ人は場面によって口調を変える

タイ人の描く漫画の中でも若干の「役割語」は見られる。
例えばたまに中国由来の主語「อั๊ว / ลื้อ」があったり、昔の人や神様など非現実的なキャラクターは主語を「ข้า / เจ้า」にして、学生やごろつきは語尾に「ว่ะ」をつける。
それよりもタイ語の場合は、場面によって口調を切り替えることが多かった。
普段の一人称は「ฉัน / เรา」だけど、友達とジョークを言い合う時は「กู / ตู」を使い、家に帰って親と話す時は「หนู」を使う。
その他「ข้าพเจ้า / ข้าพระองค์ / หม่อมฉัน」など、言わば「我輩、拙者、小生」とかそれ系の単語もある。
中国語は歴史も国土も広い。もしあなたの手元に中日辞典があれば、その中から「私」を表す言葉をかき集めて「一人称代名詞の湯呑み茶碗」を作ることができる。
韓国語ではどうかと言うと、語尾表現まわりには「上称、中称、等称、下称、 略待上称、パンマル」というカテゴリが有り、丁寧な解説がほどこされていて感心したことがある。
私はこのサイトの中で「独り言で使う」とかいう説明をよく入れているが、この観点は韓国語研究の中ではすでに語られていることだ。
それなら日本語の語尾だって、単なるキャラ付けのための飾りではないはず。場面による使い分けという観点から眺めた方が良いだろう。
ということを、いくつかのアジア言語をかじってみて思いついた。

今こそ机を離れて外に出るべき

とりわけ私はもう一度「言文一致運動」を起こすべきだと考えている。
強引な男女口調分けは日本語の本来の姿を見えにくくしているし、日本語を学ぶ外国人にとっても厄介な存在になっている。
残念な事にそこいらの日本語教室では「女っぽいか男っぽいか」というあやふやな印象しか説明できていない。

教科書的に「男性が使う」とされている言葉遣いはほとんど日常会話に適さないし、「女言葉」に至っては文法規則をないがしろにしている。
ネイティブ会話の語尾表現ではハッキリ言って男女の違いは無く、それ以上に、ひとつひとつの語尾表現を場面に応じて使い分ける事がより重要になる。
女が「いいね」男が「いいな」としゃべっている場面を思い浮かべる人もいるかもしれないが、「ね」と「な」の意味合いから考えてみると、まあ分かりやすいジェンダー・ステレオタイプだ。

最近のテレビでは、日本語を話せる外国人によるトーク番組も時折見かけるようになったが、性別関係なくネイティブ同然にしゃべっている様は見ていて安心感がある。
プロの翻訳よりも本人の日本語の方がずーっとうまいって、どうよ。
翻訳の品質向上を願う意味も込めて、こういうドキュメントを試しに作ってみたのだけれど、さて、果たしてこれでもっと良い日本語を書けるようになりそうだろうか。
理屈で考えるのが難しければ、外国人男性は「ケント・デリカット」「デーブ・スペクター」、外国人女性は「ローラ」とか「オーサ」とか「サヘル・ローズ」をモデルに思い浮かべれば良い。
Youtubeでは「ボンソワールTV」というチャンネルが超オススメ。金髪女性や母親の「てよだわ言葉」をしゃべるイメージを消すにはちょうどいい。
女子トークの感覚をつかむならバカリズムの「架空OL日記」がオススメである(作者自身も女言葉に対して懐疑的な発言をしている)。


参考文献
現代日本語の性差に関する研究
「女ことば」と「男ことば」の使用基準が切り替わる心理過程

これから翻訳者、小説家、あるいは日本語教師を目指す諸君に、ひとつだけ聞く。
「君たちはどうしゃべるか。」



参考

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