その「やさしい日本語」は何目的ですか?

私の書いたこのサイトは、あんまりやさしい日本語ではないと思います、勢いで書き殴った部分も多く…(笑)。
どちらかというと日本語学習者よりも、日本語教師になろうと思ってる人向けに書いていて、教材を作るための企画書みたいな物だからです。

概要

"plain English" と言って、お役所言葉を簡単にしようという取り組みが英語圏にもあり、その日本語版が「やさしい日本語」です。
その目的は「慣れない言語でのcommunicationを問題なくおこなう事」にあります。決して「日本語が世界一難しいから」ではありません。
外国人支援をやりたいと思ってる人は、何語でもいいので好きな外国語をひとつ選んで、ネイティブ会話表現の奥深くまで頭をつっこんでみてほしいのです。
そういう経験をしておけば「一般的に外国語を学ぶことの難しさ」という物が分かるようになります。上から目線にならず「お互い様だよね」というやさしい接し方にもつながるでしょう。
というわけで、本ページでは必要に応じて外国語の例を出していきます。
また、そもそも「これは日本人どうしの会話でも気をつけるべき事だよね」みたいな部分もいくつかあります。

「やさしい日本語」の定義

ものすごく簡単に言っちゃうと、この2つだけです。

発音について

ほとんどの「やさしい日本語」マニュアルは、発音についてはあんまり触れていません。
はたして、日本語の発音は簡単でしょうか、難しいでしょうか。 あと、韓国人のNの発音って、日本人にはRとかDみたいに聞こえがちなんですよね。アルファベット表記が同じだからと言っても、発音が全く同じになる保証はありません。
発音の難しさについては、どの言語も「お互い様」なので…まあ、なんとも言えない所ですね。
ただし、少なくとも「日本語の発音は外国語より簡単」だという考えは間違っています。それは念頭に置いておきましょう。

文法について

日本語の文法で特に難しい部分を挙げていきましょう。

否定文を使った表現

どんな言語でもそうですが、否定詞の絡んだ表現には意外な落とし穴があります。
英語の unless とかスペイン語の tampoco も、なかなかのハマり所です。
日本語の場合は「〜ないわけではない」という二重否定、「〜じゃないですか」という反語、「〜しか〜ない」などの構文です。
私も、同じ二重否定でもベトナム語だとちょっとつまずくし、確かに初心者にとっては数学の数式みたいで混乱しがちでしょうね。

可能、受身、使役

日本語の文法で最も難しい部分がこれです。
さいわいにも可能表現「食べられる」は「食べることができる」と言い換え可能なので「やさしい日本語」ガイドラインでは「〜ことができる」を勧めています。
使役表現はたいていの言語では注意を要しますが、日本語の「食べさせる」は「食べるように言う」と言い換える事もできます。
受身表現「食べられる」は「食べられる」としか言えません。ただし受身表現をあまり使いたがらない言語もいくつか存在し、主語と目的語を入れ替えて単なる能動文にしています。

漢字熟語

「借用語」は単語数を大きく増やす元になると同時に、難しい言葉を作り出す原因にもなる物です。英語に対するラテン語、タイ語に対するサンスクリット語、日本語に対する古代中国語…などがそうです。
漢字語には、字数・音節を少なく抑えられるメリットがある反面、発音の特徴が乏しくて印象に残りにくいというデメリットがあります。
いうなれば、英語の略語 ASAP とか FYI みたいな物です。
書き言葉向きなので、普段の話し言葉でやたらめったら使いまくるのは本質的に間違っています。

結局、言語習得するためには多くの例文を覚えていく事になるので、その負担を考えたら何語だろうと難易度は同じぐらいです。
文法のややこしさと言語習得の難しさは、正直ほとんど関係ありません。

文字について

言い回しの難しさについては、何語が一番難しいかなんて語学マニアの私でも分かりません。どっちもどっちでしょう。
その一方で文字というのは、なんていうか"人工的"な物なので、デザインを凝りすぎている所は有るんですよね。

「漢字」と「かな」のどちらが難しいかは、場合によります。
和語を使うデメリットは、辞書を引く時に "原形" に戻さないといけない事があり、そこでつまづく可能性もあります。
漢字熟語だと活用がないので、パソコンで検索できる環境であればすぐに意味が分かったりします。

あと、「やさしい日本語」では分かち書きをすると良いらしいですが、単語を認識しやすくなるし、これはアリですね。
これは完全に人それぞれの問題ですが、外国人の側から「ひらがなばかりだと逆に読みづらい」という意見も出ています。漢字の混じった文章の方が視覚的に慣れているから、との事です。
この意見は私も分かりますね。ABCじゃよくわかんないから「タイ文字」で書けよ…とか、私も思いますからね。

参考までに…
分かち書きをしない言語としては、日本語の他には中国語やタイ語などがあります。
ひとつの文字が特定の意味を示す「表意文字」は、漢字の他には「手話」があります。
アラビア文字は通常は母音記号を省略してしまうため、文字を見ただけでは正確な発音が分かりません。

カタカナ語を避けるべきか

「外来語・カタカナ語が難しい」という生の声は多く聞かれるので、それは実際に難しいんだと思います。
英語の外来語は比較的多くの地域で取り込まれているとは思いますが、どんな英単語をどんな形で取り込んでいるかはそれぞれ異なるはずです。ABC以外の文字だと表記も独特になります。
また、スラングとして外来語を取り入れた場合だと、元々の意味からは思いつかないような使い方だったりします。
日本語では英語の "th" を "s" または "z" の音で代用しますが、他のアジア各国では "t" または "d" の音で表してる所が多かったです。
韓国語やタイ語では spoil という言葉をよく使いますが、これは「ネタバレ」の事です。日本語では馴染みのない英単語ですね。

最近の日本語で使われているカタカナ語は、日本人にすら馴染みのない英単語が増えてきて、ハッキリ言ってひどい有様です^^;
言葉の意味をちゃんと理解していないくせに、カッコいいからという理由で使っていたりしませんか?
例えばカタカナ語の「コミュニケーション」の意味を説明してみてください。「飲み会に積極的に参加して一緒に酒を飲んでくれる人」「面白い話し方ができて相手のご機嫌をとれる人」とか、みんなそれぞれ自分勝手な解釈をしていると思いますよ。
正しい使い方に自信の持てないカタカナ語は、日頃から避けるべきだと思います。これが私個人の感想です。

カタカナ語の方が分かりやすい場合もあるかと思うので、その場合はOKです。
逆に「アレルギー」を「体が赤くなったり、かゆくなること」と言い換えるのは事故が起きるからダメだと思いました。むやみに名称を変えるべきではありません。
ただし、本来の英単語の意味・発音からかけ離れてしまってる事が多いので、新しい日本語の単語として覚える負担が生じる点には注意が必要です。

主語の省略について

実はアジア言語の多くは「主語なんか別に無くたっていいじゃん」みたいな調子で、決して日本語だけがひねくれているわけじゃありません。
(ベトナム語の主語は敬語みたいな働きがあって、基本は省略しない方がいいらしい)
まあ、主語をきちんと補うことによって文章の見通しが良くなるなら、是非そうしてください。

ただし現実には「主語」なんていう情報が全く必要ない場面もたくさんあります。
例えば「卵を牛乳に入れます」の主語って必要ですか?
この場合の主語は、卵を牛乳に入れてくれるんだったら、別に誰でもいいですよね。
しいて言えば「レシピを読んでいるあなたたち全員」が主語です。
こういうのをヨーロッパ言語では「無人称」「不定人称」「普遍人称」などと言うことがあり、便宜上は二人称や三人称の形にしてありますが「具体的な主語なんかどうでもいいんだけど」みたいな場面は度々あります。
なので、あんまり神経質に「具体的な主語を特定しなければ!」なんて考えなくても大丈夫です。

英語の勉強をしていて、it とか they とかの三人称代名詞が具体的にどれを指しているのか混乱した経験はありませんか?
慣れない外国語では文脈理解にまで頭が回らない可能性があるので、そういう時は省略しすぎない方が親切かな、という話です。

あいまいな表現は避けるべきか

英語のスラング "Get out!" は必ずしも「出ていけ!」という意味ではなく「そんなまさか!」というツッコミでも使われます。
可燃物のことを英語では "inflammable" と書きますが、頭の "in" が否定の接頭辞と紛らわしいので "flammable" という表記が好まれるようになった…という事情もあります。
よく知られている物では、誘う時の表現 "Why don't you" がありますね。
人間の話す言葉では、ある程度の同音異義語が出てきてしまうのは仕方の無いことです。
とはいえ、可能な限り、一通りの意味にしか取れない文章作りを工夫してみるのは良いことです。

これは日本語に限った問題ではありませんが……内容的に曖昧な文章については、できるだけ具体的な言葉を補いましょう。
英語でもタイ語でもそうだけど、文脈を読み取りづらい文章にでくわす事は、けっこうあります。
こういう時 non-native-speaker は、「これは慣用句なのか?スラングなのか?」「タイ人にとっては暗黙の了解なのか?現地のテレビ番組のネタとか?」「それともただ本人の文章が汚いだけかな?」とか、いろいろな可能性について考え始めちゃうんですよね。
現地の人たちにとっては当たり前すぎてなかなか気づかない所なので、「説明が足りなくてすみません」と言いながら、少しずつ改めていくしかありません。

ただ、さすがに「9時ごろ」を「8時30分から9時30分まで」に言い換えろというのは、どうなんでしょう…
「〜と思います」などの推量表現まで無くそうとするマニュアルが多いですが、そこまで徹底的に曖昧性を排除しなきゃいけない物でしょうか??
「〜ごろ」「〜ぐらい」を付けたって文法的な混乱は無いし、こんなのはどの外国語でも入門レベルで出てくる言い回しです。
「塩を少々」という表現だって、「必ず32粒を正確に数えて入れろ」とか普通言わないし、そんな事に神経を使っても何もいい事ないじゃん💦

いずれにせよ、全てを断定的に話せる人なんて世界中どこにもいませんし、分からない事については「わかりません」と言いましょう。
未来予知できるエスパーとかコンピュータじゃないんだから、なんでもかんでも断定しろだなんて無理に決まっています。
この世界は曖昧で予測不可能な現象にあふれています。なので、その曖昧さの度合いを表すための言葉も必要なのです。
100%の確証が持てないのに「絶対にこうだ」と言い切ってしまうと、そうじゃなかった時に余計なトラブルを引き起こします。

いちおう…国の作ったマニュアルでは、断定できない場合は「たぶん」または「かもしれません」を使うように指示されています。これらの表現は初級で必ず習う言葉だからです。


もちろん、ハッキリ分かっている事についてはハッキリ伝えるべきです。
これは普段から誰と話す時でも心掛けましょう。

ストレートな言い方をするべきか

「ご遠慮ください」を英語では「Please refrain from」と言いますが、どちらもあまり初級レベルではない気がしますよね。
「willの過去形だけど過去ではないって、どういうこと?ひええええ!」とか、そういう文法的な段階でつまづいていると "Would you ...?" とか "I'd like to ..." などの言い回しもためらいがちです。
婉曲表現をやろうとすると、やや複雑な構文になっていく傾向があるので、文法理解力や語彙力もそこそこ要求されます。
慣れない外国語であたふたしている状態では、細かい事を気にしている心のゆとりは無いでしょう。
なので、ストレートな言い方をしてくれた方が助かるのは、確かにそうだと思います。日本人の皆さんも海外へ行けば同じ気持ちになりますよ。

ところで、いつからこういう言説が広まったのか知らないけど……なんか勘違いしてる人がいるんですよね。

あいまい(?)な会話例

ストレートに No を伝えないと外国人には伝わりません……みたいなマニュアルを見かけたのですが、どーゆーことですかね?外国人は「アスペ」だと言いたい?
風邪をひいたら遊びに行けないのは常識であって、こんなのは曖昧でも何でもないです。
それとも、風邪を引いても遊び歩く文化圏があるんでしょうか?
もっとも、ある種の流儀として、勝手に推測せず本人の意思を尊重しようとしたこの外国人Aの判断は正しい。

初心者のうちは「婉曲表現なんかどうでもいいから言いたい事をストレートに言う」作戦でいいと思うんですが、ある程度慣れてきたらそういう考えは捨てないといけません。
実際「ちょっとストレートすぎる言い方だなあ」という感覚はわりと世界共通だったりします。
ですから、日本語に慣れている外国人との間では(もちろん外国人と外国語で話す場合も)言葉遣いに気をつけてください。

曖昧で抽象的な言葉を避けようというのは、なるべく余分なパーツを取り除いて、初心者向けに単純なSOV型の文章を作ろうという事です。
文化の問題として語る人が多いようですが、そういう事じゃないと私は思います。

敬語表現を避けるべきか

日本語の敬語表現には「使用頻度の低い慣用句」「文章構造が少しややこしい物」が多いので、やさしい日本語の中でわざわざ使う理由はありません。
特に、説明書なんかで敬語を使いまくる意味はあんまりないと思います。
ただし、決して「海外には他人を気遣う習慣が一切ないから」ではありません。世界には多種多様な文化があるのに、そんなふうに決めつけて大丈夫ですか?

スペイン語の食事に関する挨拶言葉に "Que aproveche" というのがあります。
これは学習者の苦手がる接続法が使われていて、aprovechar という言葉自体もやや抽象的で難しめですね。それから、この場合の主語はどれだろう…
まあ、そういう細かい事はさておいて "Que aproveche" というフレーズを丸暗記しておけば、現地でそういう言葉を掛けられた時に「ああ、なるほど!」と理解できるはずです。
本当に日常的によく使う言葉なら、逆に敬語の決まり文句の方が通じやすい可能性もあるわけです。

いちおう、やさしい日本語ガイドラインでは「ですます体」を勧めているはずですが、
あなたのお店で「お召し上がりください」を決まり文句のように使っているなら、外国人観光客に対しても、まず最初は「お召し上がりください」でOKです。おそらく「本場の日本語」という物に興味を持っているはずです。
もし意味が通じなかったら別な言葉に言い換えましょう。
「日本人には敬語で話しているのに、外国人の私にはタメグチで話しやがった」という苦情も寄せられています。
なので、敬語のカテゴリに含まれる言葉を一律に排除するというのは正しくありません。
なるべく「定型句」どおりに話すことと、「使用頻度」を基準として言葉を選ぶことに気をつけてみましょう。

これは英語で言う所の "Type of diction" に相当する物です。
「英語だからいつでもどこでも同じ言葉遣いでOK!!」なんて態度でいると、いつまでたっても "英語の赤ちゃん" のままです。
きちんと外国語を習おうとしている人は、場面に応じた言葉遣いの切り替えにも注意してみてください。

擬音語を避けるべきか

皆さんは英語のオノマトペをどれだけ覚えていますか?たぶん、ひとつも知らないっていう人も少なくないと思います。
擬音語を使わない方が良い理由はあります。それは以下の通りです。 要するに「スラングをなるべく使わないようにしましょう」って言うのと同じことです。
ここでもやはり「使用頻度」を基準として言葉を選ぶべきで、擬音語とみなした単語を一律に排除するのは間違っています。
それ以前に、ひらがな4文字の単語をなんでもかんでもオノマトペ扱いするのは、どうかなぁと思っていて…
オノマトペと決めつけてしまうと、感情論みたいな話になってしまいがちなんですよね。
本当はきちんとした語源とか理屈があるはずなのに。「普通名詞」「副詞表現」という扱いでも良くありませんか?

例えば体の具合を伝える言葉「しんぞうが、どきどきする」はどうでしょうか?
ドキドキは擬音語だから使わないようにしよう…と言っても、言い換えようがあるでしょうか?
「心臓が鳴る」「鼓動が速まる」「脈が早い」「心拍数が高い」「動悸がする」…逆に言い回しが難しくなりませんか?
こういう生理現象を表す最も簡単な日本語は「どきどき」であり、これ以上簡単な日本語は存在しません。

「やわらかい」と「ふわふわ」ではどうでしょうか?
基礎的な単語である「やわらかい」を選ぶのが普通かもしれませんが、使用頻度はどちらも同じくらいで、しかも「ふわふわ」の方が音節が少なく発音が簡単で覚えやすいんですよね。
どちらにしますか?

「ずきずき痛む」ことを英語では「throbbing」中国語では「阵阵地」など、「ひりひり痛む」ことは「tingle」「麻麻刺刺」など…
ロボットではない生身の人間なのでそういう表現は外国語でももちろんできます。
だた、いずれにしろ初級で習う単語ではありませんよね…という話です。
外国人の脳ミソでは環境音を認識できないだとか、とんでもない神経神話を言い出す人がいますが、そういう人は不適切なので外国人支援事業から出て行ってください^^;
「やさしい日本語 批判」という絞り込み検索をすると、もう少し良い記事が見つかるかもしれません。
比較的きちんとしたマニュアルであれば「相手の理解度によって調整するように」との指示があります。
曖昧表現・敬語・擬音語を永久に封印しろ、という事ではありません。

その他

「男言葉と女言葉」「本音と建前」については実態と掛け離れているため、本サイトのいろいろなページで「そんな物は本来の日本語ではない!!」と批判させてもらっています。
「てよだわ言葉」などの役割語は英語でいうところの「黒人英語」「ピジン英語」みたいな物で、学校で教えるような標準語とは区別する必要があります。
「外国人は本音しか言わない」とか思ってる人はもっと国際ニュースを読みなさい。タリバンやプーチンの主張を言葉通りに受け取って大丈夫でしょうか?
あえて由来を見出すなら「海外の文学は表現が乏しい」「外国人は察する能力が低い」という偏見から、あたかも日本人が特にタテマエを多用しているかのような錯覚に陥っているのです。
なので、「やさしい日本語」で使っちゃいけないのは当然として、そもそも「日本語教育」自体から一切排除するべきだと考えています。

あとそれから、過剰なまでに「空気を読む」風習についてですが、これは別に昔からあるような文化ではなく、ごく最近の社会情勢です。
西暦2000年ごろに「勉強ができる事よりも、人とのコミュニケーションが大切」などという事をお偉い方々が言い広めまして、まあ、勉強できる子に対する妬み以外の何でもないですね^^;
その名残みたいな物で、そのうち無くなると思いますよ。

おわりに

最後にもうひとつ覚えておいてほしいのは「外集団同質性効果」という言葉です。
これは「自分達はとても個性的だが、他の連中はみんな同じで単純だ」というバイアスの一種です。
英語・フランス語・ドイツ語だって語順の規則はそれぞれ異なりますし、「日本語の難しさ」は人によって感じ方が違ってきます。
日本と海外との二項対立みたいに語ってる人は基本的にダメです。

「やさしい日本語」は扱い方を間違えると、外国人に対する偏見を助長するおそれもあります。
マニュアルを作ろうとしている皆さんは「お前だって外国に行けば同じ目にあうからな」という文脈で説明するよう気をつけた方がいいと思います。
「日本人と違って○○人は文化水準が低く、頭の出来もよくありません、したがって単純な言葉遣いで対応してやりましょう」みたいに読み取れるマニュアルも実際少なくありませんでした。

国際交流に興味のある皆さんは、「○○語に○○はない」という考え方を一切捨てる事をおすすめします。
「どうせ無いんだから調べてもしょうがない」と言って、外国語学習や多文化理解が止まってしまうからです。
海外はこうだ、外国人はこうだ…と、一括りにできるほど世界は単純ではありません。
「やさしい日本語」の分野では、庵功雄(いおりいさお)という学者がそこそこのprofessionalなようで、この分野をうまく導いてくれそうな気がします。